SNS時代の要注意点! 他人と自分を比べてはいけない深いワケ

サイコロジー

 社会生活を送る限り、周囲の人物と自分の共通点や違いに気づかされることは日常茶飯事だ。自分と同じように見える人物の意外な側面を知って驚いたり、逆に自分には遠い存在と思っていた人物に意外な共通点があることもある。他者についての分析は、時には新鮮な驚きをもたらしてくれるのだが、あまり自分と比較してはいけないようである。

■他者と自分を比べてはいけない4つの理由

 SNSの普及によって他者の生活を垣間見る機会は確実に増えていると言える。そこでついつい、一見自分と似たような境遇に思えるユーザーと自分を比較してしまったりもするのだが、他者と自分の比較は厳に戒めるものであると指摘するメンタルヘルス専門家の声は多い。ビジネスコーチのエレン・ニーラン氏は、他人と自分を比較してはいけない理由を4つ挙げている。

1.全体像が見えていないから
 身近な人物が高級車を購入したり高級ブランドを身につけていたりすれば羨望や嫉妬を覚えることもあるだろう。また一年中世界各地を飛び回っているセレブは、いったいどんな豪華で素晴らしい暮らしを送っているのかと、叶わぬ夢としてあこがれたりもする。

 しかしどちらにしても、そうしたことはその人物のほんの一部の側面をあらわしたものであり、外からは伺い知れない事情もある。何らかの有利な事情で高級車が手に入る場合もあるだろうし、国際的セレブは実は静かな隠遁生活を望んでいるかもしれない。その人物の人生と暮らしぶりの全体像が見えていない以上、自分と比較しても意味はないのである。

2.メディアが提供する“普通”に毒されているから
 マイカーの購入から結婚、マイホーム購入という人生を左右する事柄に関することから、ファッションやダイエットまで、メディアが提供しているあらゆる“普通”はもはやリアリティがないことに気づくべきである。そうした“普通”の生活と今の自分の生活を比べても仕方がない。

3. 将来の失敗を織り込んでしまうから
 周囲の人々の多くは自分の最も輝く部分を見せているのであり、実態の全体像はなかなか見えない。表面的で非現実的な“普通”を当たり前のものと見なすことは、わざわざ自分で将来失敗するようにプログラムしていることと同じであり、百害あって一利もない。

4.人生に対してネガティブになるから
 他人と自分を比較して劣等感を抱き続けていると、生きる活力が低下して人生の上で冒険ができなくなり、最悪の場合はうつに繋がるものにもなる。他人と比較して優越感や劣等感を味わうのではなく、自分の人生を自分だけの“オンリーワン”な体験として納得のいくものにしたい。

 しかし比較していい人物は1人だけいる。それは“過去の自分”である。ニーラン氏によれば、過去の自分こそが比較してよい唯一の人物であり、自分の成長に役立つ比較になるということだ。

■社会的比較が過ぎれば視野狭窄に陥る

 ビジネスアドバイザーだけでなく、サイエンスの側からも他者と自分の比較はすべきではないことが指摘されている。

 1954年に社会心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された社会的比較理論(social comparison theory)は、自己評価を正確に把握するための手法を探った学説である。この理論で重要となる概念が2つあり、それは自分を自分よりも優れている人物と比べる上方社会的比較(Upward social comparison)と、自分よりも劣る人物と自分を比べる下方社会的比較(Downward social comparison)である。

 確認する程度の比較であれば、このどちらの比較も自分の成長にとって良いことであるが、度を過ぎればメンタルに悪影響を及ぼすことがわかっている。

 理想や目標となる人物と比較する上方社会的比較はヤル気を鼓舞し、希望とモチベーションをもたらし、現状を乗り越えるヒントを与えてくれるものにもなる。

 しかしその一方で上方社会的比較は、嫉妬と劣等感、優れた人物の不幸や不運を喜ぶ気持ちといったネガティブな感情を引き起こす可能性もある。そして羨む人物を一面的に見てしまう傾向もあり、その人物の影の努力や複雑なキャリアの遍歴を無視して表面的な理解に留まってしまう。芸能人やセレブのゴシップ好きにも通じるものがあるだろう。

 そして自分よりも劣った人物と比較する下方社会的比較は、簡単に優越感を得ることができるぶんだけに危険性も高い。もちろん、精神状態を安定させるという意味での“健全な自尊心”は誰しもある程度必要なのだが、劣った人を見て安心してしまうため、向上心がなくなり現状を改善する気持ちが失せてしまうのだ。

 また下方社会的比較はとても危ういものもである。なぜなら他人の不幸や不遇に依存しているものだからだ。そして劣った人物の関係性において大きな偏見と視野狭窄をもたらす。つまり劣った人物をあまりにも狭い観点から把握しているために人物の全体像が見えなくなり、同情したりサポートしたりしようという気持ちがなくなってしまうのだ。

 しかし別の研究では、健全な良識に基づいて下方社会的比較を行なう限りにいおいては、自分より不幸な境遇の人々への同情心と思いやりが増すという指摘もある。

 自己の成長のために自分の今の状態を確認することは必要だが、比較し過ぎればどんどん考え方の幅が狭まってしまうということだろう。

■自虐的思考で幸福になれる?

 他人と自分を比較してはいけないということが身に染みる話題が続いているが、では幸せになるためにはどんな考え方をしたらよいのだろうか。それはなんと、決して楽しいことを考えるのではなく、自分のダメで惨めなところを良く考えることであるというから意外だ。

 カナダ・バンクーバーの心理カウンセラー、ランディ・パターソン氏は昨年出版した自著『How to Be Miserable: 40 Strategies You Already Use』の中で、「幸福を求める戦いは骨が折れるもので、流れに逆行して泳いでいるようなものです。こうした状況の中での幸福はほとんど不可能であると言えるかもしれません」と言及して自説を展開している。

 パターソン氏の研究によれば、人生の悪い面に焦点を当てることで、幸せが訪れた時により幸せが感じられるように脳の“配線”を変えることができるということだ。

 そのやり方は簡単で自分をダメにしている問題を正確に見極めることが重要であるということだ。今の悪い状態を作り出している原因を突き止めることであり、そのためには自分のダメさや状況の悪さを徹底的に検分してみることが問題解決の第一歩になるということだ。

「あなたを不幸にしている行為を認識することができれば、少しずつ修正していくことができます。決して一度にすべてを変えようとしないことが重要です」(ランディ・パターソン氏)

 じっくりと問題を検証しなければならないため「言うは易く行うは難し」という側面もあるメソッドだが、パターソン氏はこの方法は何をすれば幸せになるのかを考えることではなく、幸せになるための“選択”であると説明している。結局のところ、ネガティブな現象とはメンタルの構成物以上の何者でもないということである。

「すべてのネガティブな考えや、自分に対するネガティブな固定観念を退ける必要はありませんが、それが構成物であることを認識しはじめる必要があります。ネガティブな考えは完全な一枚岩でもなければ、現実をそのまま反映したものでもありません」(ランディ・パターソン氏)

 状況が悪いからといって、すべてをドラスティックに刷新する必要はなくますは現状を細かく分析してみることが求められているのだろう。

参考:「Your Tango」、「Psychology Today」、「The Cut」ほか

文=仲田しんじ

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