高感度人間ほど生き辛いストレスフルな現代社会をサバイバルする“無視力”とは

サイエンス

 世界の隅々までがネットワークで繋がり、情報が瞬時に行き交う現代社会は、日々がストレスとの戦いでもある。その中でも特に生き難さを感じている一群の人々がいるという。それは「HSP」と呼ばれる人々だ。

■超高感度人間である「HSP」の特徴

 アンデルセン童話の1つに「エンドウ豆の上に寝たお姫さま」という話がある。ある国の王子の“お姫様探し”のストーリーだ。

 これはと思う姫になかなか出会えずに失望していた王子だったが、ある嵐の夜に城に1人の若い女性がやって来た。城に迎え入れられたずぶ濡れの女の子は、自分は本物の姫であると主張したのだ。

 ともあれ空いた寝室を女の子に与えた王子だったが、その際に部屋のベットに一粒のエンドウ豆を置きその上から敷布団を20枚も重ねたという。もし姫であれば普段からふかふかのベッドで眠っているであろうという配慮からである。しかしその下にエンドウ豆を置いたのは、王子にある考えがあったからだ。

 あくる朝、「寝心地はいかがでしたか」とたずねられた女の子は、「ベッドに何か固いものがあって体に当たって、あまり眠れなかった」と不満を漏らしたのだ。これを聞いた王子は、たった一粒のエンドウ豆で寝苦しくなるとは、さすがは真のお姫様だと感服してプロポーズし、妃に迎え入れたという。

 まさにこのお姫様のように、身も心も人一倍デリケートなのがHSP(Highly Sensitive Person)と呼ばれる人々である。アメリカの心理学者、エレイン・アーロン博士が最初に定義した概念で、HSPは遺伝的な性質であり、人口のおよそ2割がHSPで、男女の性差による偏りはない。そして博士によればHSPには4つの特性があるという。

 まず第一には、HSPは物事を非常に“深堀り”することである。良く言えば探究心旺盛ということになるが、悪く言えばいつまでもくよくよ考え過ぎる性格だとも言える。第二には、刺激に過度に反応することで、例えば優れた絵画に深く感銘したり、またショッキングな映像に激しく動揺してしまったりしがちであるという。三番目は高い共感能力で、他者の喜びや悲しみを自分の身に起ったことのように感じることができるということだ。そして最後は優れた五感の感度である。HSPは平均的な人間よりもおしなべて五感の感度が高く、優れた識別能力を持っていると共に、環境からのストレスを受けやすい性質も備えている。

 もちろんこの4つの特徴のどれが強く出るかは人それぞれでいろんな性格のHSPがおり、傾向としてアーティストや学術研究者などにHSPが多いといわれているようである。そして今日の社会は特にHSPにとってはストレスに満ちた環境になってしまったのだが、この状況を打開する特効薬は残念ながら存在しない。とすれば、意識的に精神や神経を休める時間を作ったり、軽い運動を心がけたりするといった地道なストレス解消法を生活の中に取り入れていくしかない。

 ひとつの救いとなるのは、HSPも年齢を重ねることでストレスの扱いが巧みになってくるという点だ。いわば“ストレス耐性”が齢とともに強まってくるのだ。HSPの人々には特に生き辛い世の中だが、逆に今日の高度情報化社会ではその優れた感受性を武器にして活躍できる場所が増えているとも言える。このようにHSPの話題はメンタルヘルスの重要性をあらためて思い知らされるトピックスなのである。

■現代の仕事環境における「マルチタスク」の急激な増加

 ではどれほど今日の社会がストレスに満ちているのか? それは今のオフィス環境と作業内容をあたらめて見回してみれば一目瞭然だろう。

 常時ネットに接続されたPCを基本に、スマホにも随時情報が届けられる仕事環境はいつの間にか煩雑を極めるものになっている。また、ネット上でできることが飛躍的に増えたため、これまでは専門の部署がやっていたような仕事も、望むと望まざるとにかかわらずどんどん個人がやるようになってしまった。そしてこの現在の作業環境が、複数のことを同時に行なう「マルチタスク」を急激に増加させているのだ。

 そしてこのマルチタスクの増加が、現代人の脳に深刻な影響を及ぼしていると警鐘を鳴らしている専門家もいる。2005年に英ロンドン大学から発表された研究では、携帯電話の着信通知ランプが点滅しているような注意力を散漫にする環境の中では、実効的なIQが10ポイント低下するという結果が出ている。誰からの着信なのか、あるいはどんな内容のメールなのかが気になって現在の作業に少なからぬ負荷を及ぼしているということだ。

 また、2014年に英サセックス大学から発表された研究によれば、新聞を読みながらテレビを見、時折スマホをチェックするといったようなマルチタスクを行なっている者の脳には変化が生じているというショッキングな報告もなされている。マルチタスクが習慣化してしまった者は、共感能力や感情のコントロールに関係があるとされている脳の前帯状皮質(Anterior cingulate cortex)の密度が減っている傾向にあるということだ。

 高度にオンライン化が進んだ今日の職場環境にあって、今後ますますマルチタスクなどからくるストレスが多くの現代人に重くのしかかってくることは間違いない。これからの時代のビジネスパーソンは職能スキルと同じくらい、これらのストレスにうまく対処する能力も求められているといって過言ではない。

■作業能率を高める“無視力”は鍛えられる

 あらゆる情報が駆け巡るこの今の時代をサバイバルするための1つの有効な方法が見つかったかもしれない。それは“無視力”を鍛えることだ。

 米ジョンズ・ホプキンス大学の研究チームが2016年2月に発表した論文によれば、何かを探す作業を行なう上で、無視していい要素をあらかじめ明らかにしておくことで、検索スピードが速まるという実験結果が報告されている。しかも作業を繰り返すほど、効率的に早く探せるようになるということだ。

 実験の参加者は、様々な色のアルファベットがランダムにちりばめられた図を見せられ、特定のアルファベット(例えばT)をなるべく早く探すことを課された。実験は2種類行なわれ、まずは探すべき文字のみを伝えてから課題に挑み、発見までに要する時間が計測された。

 そして次の実験では、探すべき文字と共に無視してよい色を参加者に伝えてから探してもらったのだ。つまり、たとえばTを探す場合に“赤”を無視してよいと言われたとすれば、当然赤い文字にTはないので、赤以外の色の文字の中からTを探すことになる。無視してよい色を伝えられて、最初のうちは逆に少し混乱したのか、最初の課題より発見までの時間がかかったということだが、繰り返していくうちにタイムはどんどん縮まっていったということだ。

 何かを探すとき、たいていは探すべきものの特徴を詳しく知ることがまず先決ではあるが、意外にも無視してもよい要素がわかることで、検索スピードは格段に向上するのである。しかもこの“無視力”は鍛えて向上させることができるのだ。人間の認知機能が持つこの傾向は、神経科学的にはまだ詳しく解明されてはいないのだが、現実の生活の中でさまざまな活用が考えられるということだ。例えば、空港のX線を使った荷物検査や、医療の現場でレントゲン写真の異常を検知する能力の向上に寄与できるのではないかという。

 集中力を持続するのはなかなか骨が折れる感じがするのだが、注意を払わなくてよいことを効率良く無視することができれば、確かにずいぶん楽に仕事や作業ができそうだ。ストレスに満ちた環境に入り込んだり、多すぎる情報に直面する機会の多い現代社会の中で、今後ますます“無視力”が重要な意味と役割を持ってきそうだ。

参考:「Food World News」、「Mental Floss」、「Medical Daily」、「The Atlantic」ほか

文=仲田しんじ

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