人々の期待を一身に浴びて新たにオープンを飾るテーマパークもあれば、さまざまな理由で人知れずこっそりと入園ゲートを永久に閉じる遊園地もある……。施設が撤去されることもなくそのまま朽ち果てて廃墟となった遊園地は日本にもけっこうあるが、広大な土地を持つアメリカは“廃墟テーマパーク”のスケールも荒涼感もかなり強烈だ。
■今も子どもたちの霊が遊ぶ「呪われた遊園地」
さかのぼること半世紀前、米・ウェストバージニア州で操業していた広大な敷地の遊園地「レイク・ショーニー・アミューズメントパーク」は1966年に閉園している。その閉園理由はかなり背筋が寒くなるようなものだというのだが……。
この遊園地がお客で賑わっていた頃のある日、回転式のブランコに乗っていたピンク色の服を着た少女が、設備のトラブルで他のブランコに激突するという事故が起きた。そして不幸にもピンクのワンピースを真っ赤な血の色に染めてその女の子は亡くなったという。
なんとも痛ましい事故であったが、しかし少女は今でもまだこの場所で遊んでいるのだというから驚きだ。廃墟となった遊園地を訪れた何人もが、ここでブランコを漕いでいる少女の存在を感じ、また別の者の霊が今でも観覧車に乗っている気配を認めているという。なんとも不気味な話である。
また、園内のプールでは母親からはぐれた男の子が溺死する事故も起った。男の子は腕をプールの底の排水溝に吸い込まれて身動きできずに亡くなったのだ。しかしこの男の子もまだ遊び足りないようで、楽しそうに遊ぶ男の子が笑い声が今も時折ここに響いているのだという。このほかにも遊園地のローラーコースターの事故で少なくとも6人が命を落としたということだ。
相次ぐ死亡事故に「呪われた遊園地」と呼ばれるようになり次第に客足が減って閉園に追い込まれることになったのだが、実はこの土地そのものに深い因縁があったことが明らかになり、さらに人々を驚かせることになった。この地は古来から続いていたネイティブアメリカンの居住区であったことが人類学者の調査でわかり、その後の発掘調査でネイティブアメリカンの墓地であると思われる場所から13体分の遺骨を発見したのである。
また西部開拓時代に残されていたこの地の記録を紐解くとさらなる戦慄に襲われることになる。開拓者としてヨーロッパからこの地に移り住んできたミッチェル・クレイ氏の一家の3人の子どもが、両親が不在の間にネイティブアメリカンの部族の者たちによって惨殺されていたのだ。無残にも長男は皮を剥がれて殺されており、三男は別の場所で焼き殺されたということだ。
多くの命がこの地で失われていることが分かり、その後心霊研究家や霊能者も検証に訪れ、その世界での“お墨付き”を与えられた土地になったのだ。
■ハリケーン・カトリーナ後に無人のまま遺棄された遊園地
アメリカ開拓時代にまで遡る因縁の歴史を持つ遊園地がある一方、2005年8月にアメリカ南東部を襲った大型のハリケーン・カトリーナによって閉園に追い込まれた“新しい廃墟”がルイジアナ州のテーマパーク「シックス・フラッグス・ニュー・オーリンズ」である。
“ジャズの街”ニューオーリンズの特色を前面に押し出したテーマパーク「ジャズランド」として2000年にオープンした施設がその後シックス・フラッグス社に買収されて遊戯施設を導入し、2003年に「シックス・フラッグス・ニュー・オーリンズ」として開園。絶叫マシーン「バットマン:ザ・ライド」や「ザ・ジェットスター」をいちはやく導入して注目を集め、大型の屋内遊泳施設の建設構想もあったが、すべての計画がカトリーナの襲来で水の泡となる。
ハリケーンの被害は甚大で、暫くの間敷地内に溜まった水がひかず多くのアトラクションが損傷、故障して操業は不可能になり、同社が詳しく再建にかかる費用を計算したところ再オープンを断念。ニューオーリンズ市との間の敷地のリース契約を終結させ、施設をそのまま市に明け渡すことになった。ニューオーリンズ市はその後何度かこの敷地の再開発に取り組むことをアナウンスしたが、実際には何も行なわれず当時の遊戯施設などを放置したまま今日に至っている。
自然な風化に任せるままの園内の様子は、意外なくらい健在な姿を見せているものもあれば、草木が生い茂り荒廃が進んでいる場所もあるようだ。建物の壁などにところどころにスプレーによる落書きもあることから、時折侵入者もいることがわかる。
このまま朽ちるに任せるしかないと思えたシックス・フラッグス・ニュー・オーリンズだが、最近になって別の業界から注目を浴びることになった。それは映象制作業界である。格好の映画のロケ地として、すでに『猿の惑星』や『ジェラシック・ワールド』などで撮影に使われているのだ。もちろんロケ地としての運用だけで再建は難しいとは思うが、“廃墟ツアー”の可能性を探ることなど、一筋の光が見えてきたのかもしれない。
■今は閉園した遊園地のお化け屋敷に展示されていたものとは
テーマパーク、遊園地の話題ということで最後に紹介するのは、かつてカリフォルニア州・ロングビーチにあった遊園地「ザ・パイク」で起きたゾッとする出来事である。
1902年にロングビーチの海岸沿いにオープンしたザ・パイクは、長らく西海岸の人気テーマパークとして多くのアメリカ人を楽しませてきた。ローラーコースターなどと並んで、お化け屋敷の「Laff in the Dark」というアトラクションもまた来園客の人気を集めていたということだ。
ファミリーで楽しめる遊園地として根強い人気を誇っていたザ・パイクだったが、1955年のディズニーランドのオープンや、1964年のユニバーサル・スタジオ・ハリウッドのテーマパーク化なども影響してか客足は落ち込み、1976年には遊園地としての操業を止め映画やドラマの撮影ロケ地となった。実は操業中もハリウッドの映象産業の間では人気のロケ地で、日本でもお馴染みの『刑事コロンボ』シリーズもここでよく撮影されていたということだ。
そしてさかのぼること1976年12月8日、テレビドラマシリーズ『600万ドルの男』の撮影が、お化け屋敷「Laff in the Dark」で行なわれたのだ。現場スタッフが撮影の準備中に屋敷内にあった縄で首を吊られた一体のマネキンを移動させようとしたところ、うっかりして人形を傷つけてしまい腕が取れてしまったのだ。慌ててくっつけようとしたらしいのだが、よく見るとその腕には骨らしきものが……!
この一件は直ちに警察へ通報され、マネキンではなくミイラ化した本物の遺体であることがわかった。検死の結果、以前にも検死を受けている形跡が認められ過去の記録と照合したところ、1911年に何者かの銃撃によって死亡した銀行強盗、エルマー・マッカーディであることが判明した。ヒ素を使った死体保存処理を施されていたため、今日まで腐敗することなくミイラ化してこのお化け屋敷の中で晩年を過ごしていたのであった。以前にここで行なわれた撮影でもこの遺体は何度もフィルムに写っており、代表的なものに1933年の映画『Narcotic!』などがあるという。
しかしどうして本物の遺体があったのか? エルマー・マッカーディは死後、長らく遺体安置所に保管されていたが、なかなか引き取り手の遺族が現れず保存処理と保管の費用を取りっぱぐれそうなことに業を煮やした葬儀屋が、この“仏さん”を見世物にすることを思いたち実行に移したのがことの発端だったのだ。
たちまちこの見世物は話題を呼び、けっこうな稼ぎになったところで彼の兄弟を名乗る者も現れてからは、この“仏さん”は幾人かの手に渡り、さまざまな見世物小屋や博物館などで展示され“稼ぎ頭”として活躍したという。そしていつからか、本物の遺体であることも意識されなくなり、ある時期からは蝋人形として扱われてきたという。展示場所が変わるたびに幾度も身体への塗装が繰り返され、ますます人形と見分けがつかなくなっていたのだ。
そしてこのザ・パイクのお化け屋敷に運ばれてきたときは、このマネキンが本物の“仏さん”であることなど誰も知らなかったということだ。
31歳で亡くなったエルマー・マッカーディだが、発見の翌年の1977年に墓に埋葬され、死後65年間に及んだ人前での“出演活動”をようやく終えることになる。撮影ロケ地として暫く営業を続けていたザ・パイクもその後1979年に完全に閉鎖し取り壊されることになった。さまざまな最期の姿を見せて閉園する遊園地やテーマパークの数々……。そして楽しかった思い出だけが残されるのだ。
文=仲田しんじ
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