謙虚な人は平身低頭して何の得があるというのか?

サイコロジー

 自分の見解を明瞭に語り、その結論を断言する人物は頼もしくスマートに見えるかもしれない。一方で明言を避け、優柔不断に見える物言いをする人物に対してはその能力を疑問視したくなるかもしれない。しかし本当にそうなのだろうか?

■謙虚な人が慎み深い理由とは?

 人々の多くは基本的には自分をより良い人物に見せたいと考えているだろう。場合によっては実力や実績を“盛った”自己アピールに出るケースもある。

 しかしその一方で、自分の実力や能力を控え目に見せようする謙虚な人々もいる。おごりたかぶらない謙虚な人には誠実さと信頼感が醸し出されるかもしれないが、そうだとすれば謙虚な人はそうした効果を狙って“演出”しているのだろうか?

 そうした“演技派”もいるのかもしれないが、実のところ謙虚な人は謙虚でいることで、大きな“見返り”を得ているというから興味深い。

 米・ペパーダイン大学のクルミーリ・マンキューソ准教授が主導する研究チームが2019年2月に「The Journal of Positive Psychology」で発表した研究では、知的な慎み深さが知識の習得を容易にし、より良い意思決定に繋がっていることを報告している。

 研究チームは合計1200人もの人々が参加した5つの実験を通して、謙虚さが知的活動において有効な“戦略”であることを解き明かしている。

 実験では例えば「重要なトピックに対して別の視点から考えてみるのを歓迎する」や、「重要なトピックに対する考えを変えてみることを厭わない」というステートメントに同意できる謙虚な者は、現実とフィクションを見分ける課題で好成績をあげる傾向にあることが判明した。つまり謙虚な者は新たな知識を柔軟に受け入れてより正確な意思決定を行なっていることになる。

 研究チームは謙虚な者は、自分が知らないことがある事実を深く自覚しているからこそ、考え方がより開かれた柔軟なものになり、偏見のない正しい意思決定が行なえる確率が高まると説明している。謙虚な人は決して自己卑下しているわけではなく、より良い意思決定のための“戦略”として知的に慎み深くなっている一面があることになる。

 謙虚な人々は認知機能においては特別優れているわけではないのだが、興味深いことに学業成績(GPA)はその実力からすると低くなる傾向もあるという。答案などで絶対の自信を持って行なう回答が少ないぶんだけ、テストの成績は実力よりも低くなるのかもしれない。

 時には自信のない優柔不断な人物にも見えるかもしれない謙虚な人々だが、人物評価において早合点は禁物ということになるだろうか。

■人々の95%は自分が心の広い人間であると自認

 知的に慎み深くなることで、現実とフィクションを正確に見定め、より柔軟で慎重な意思決定に繋がることが示唆されているのだが、この能力は今日、ますます重要なものになっている。いわゆる“フェイクニュース”の蔓延によって、今や我々の固定観念は常に脅かされていると言っても過言ではないだろう。

 ではどうすれは「知的な慎み深さ(intellectual humility)」を高めることができるのだろうか。

 2016年の米・ペパーダイン大学の研究では、知的な慎み深さは4つの要素に分けられることが示されている。それぞれ下記の通りだ。

1.異なる考え方を尊重すること。
2.知的な過信がないこと。
3.エゴと知性を切り離せること。
4.自説を見直せる態度。

 知的に慎み深い者は上記の4つの要素のスコアがいずれも高く、これに基づき研究チームは「知的な慎み深さスケール(Comprehensive Intellectual Humility Scale)」を考案している。何か重要な意思決定を行なう前にはの4つの要素を確認にしてみると良いのかもしれない。

 またロヨラメリーマウント大学のジェイソン・ベアー教授はこうした要素に加えて好奇心が重要であることに触れている。知的に慎み深くても、異なる意見を好奇心を持って聞く態度がなければ真に心が開かれているとは言えないことを指摘しているのだ。

 作家で起業家でもあるシェイン・スノー氏が昨年に出版した著書『Dream Teams』では、数千人にも及ぶアメリカ人勤労者を対象した一連の実験を行ない心の開放性と、当人の生き方および働き方に関係があることに言及している。

 研究結果はある意味では残念なもので、人々の95%は自分が心が開かれた人間であると自認していたのである。これは多くの人が「エゴと知性を切り離せ」ないことを浮き彫りにするものにもなったのだ。

 アメリカ建国の父の一人として讃えられるベンジャミン・フランクリンは自説を述べる時に冒頭に「私は間違えることもある、しかし…(I could be wrong, but…)」が口癖であった。自分が本当に心が広い人間なのかどうかを含め、ベンジャミン・フランクリンに倣ってみてもいいかもしれない。

■感動を忘れないための4つのポイント

 よりよい意思決定と人生のためにも知的に慎み深くありたいものだが、実はある意味で簡単に謙虚になれる方法がある。それは雄大な大自然に触れるなど、心底から圧倒させられる体験をすることだ。目を瞠(みは)る体験、畏敬の念を抱かせる体験は自分がちっぽけな存在に感じられ、世界に対する認識を新たにしてくれるのだ。

「畏敬の念を抱いた人々は、興味関心をより外側に向け、社会的交流において他者をより重視するようになります。畏敬の念は、自分自身が何かより大きな存在の小さな一部分であると実感させてくれるのです」とトロント大学のジェニファー・ステラー助教授は語る。また別の研究では、畏怖の念を抱くことで免疫機能が向上し、メンタルヘルスへの好影響も報告されている。

 圧倒的な大自然を目の前にしたり、身が震えるほどの芸術体験を得たりすれば、まさに人生観すら変わり得る一大イベントになるのだが、例えば多くにとって旅行などはそう頻繁に出かけられるわけでもないだろう。

 日常の生活の中で畏敬の念を抱かせてくれるような体験をするには何を心がけたらよいのか。編集者でライターのサラ・ディジュリオ氏が4つのポイントを解説している。

●自然に触れる
 近場の公園であったとしても自然に触れて季節の移り変わりを実感することで自然の偉大さが感じられるだろう。公園の緑の中を散策したり、あるいは高いビルの最上階などから町を見下ろし緑の残る場所を見つけてみてもよい。

●快適空間から逸脱する
 規則正しい日常を送っていれば、自ずから行動半径が限られてくる。そこで意識的にマンネリを避ける心がけが必要になる。自宅や勤務先から近い場所であっても今まで一度も訪れたことがない場所は意外に多いものだ。帰宅へ向かう電車を途中下車してみたりすれば意外な発見に出会えるかもしれない。

●“ライブ志向”になる
 もちろん映画やミュージックビデオでも深い感動を得られるが、やはり“ライブ”に敵うものではないことを、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の心理学者であるクレイグ・アンダーソン氏は指摘している。

「電話での会話は決して実際に本人を前にした時よりも印象強くなることはありません」(クレイグ・アンダーソン氏)

 可能な限り“ライブ志向”で“リアル”な体験を求めたいものである。

●新たな体験に心を開く
 「畏敬の念を抱くことで自分が小さな存在に感じられ、自分自身を改めて“計り直す”ことができます。これは別の方向から光をあてて自分を見直すことです」と神経科学者のボウ・ロト氏は語る。

 ロト氏の最近の研究では、「シルク・ドゥ・ソレイユ」のライブパフォーマンスがどのように観客に畏敬の念を起こさせるのか、そしてそれがどのようにして脳活動を変えるのかが探られている。“感動体験”が脳を変えているのである。

 ややもすればマンネリに陥ってしまう日常生活だが、どんなに些細なことであっても感動を忘れてはならないということになるだろう。

参考:「Taylor Francis Online」、「Harvard Business Review」、「NBC News BETTER」ほか

文=仲田しんじ

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