言い訳の常套句「記憶にございません」には無理があった!

サイコロジー

 うっかりしたマナー違反には注意したいものだが、街中での歩きタバコなどモラルについてかなり無頓着な人々もいる。このようにモラルをやすやすと侵犯してしまう人々の性格特性が最近の研究で浮き彫りになっているようだ。

■「七つの大罪」を犯しやすい性格特性とは

 キリスト教・カトリック教会で戒められている「七つの大罪」はそれぞれ、暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬である。最新の研究では、こうしたインモラルを犯しやすい性格特性があることを報告している。

 オークランド大学とケンタッキー大学の合同研究チームが2018年3月に学術ジャーナル「Personality and Individual Differences」で発表した研究では「七つの大罪」を犯しやすい人物のパーソナリティー特性を探る取り組みを行なっている。

 研究チームは2324人の実験参加者にパーソナリティー診断テストを受けてもらった上で3つの実験を行ない、性格特性とそれぞれの“大罪”の関係性を詳しく調べた。

 各実験で得られたデータを詳細に分析したところ、敵意(antagonism)の強い人物に「七つの大罪」がほぼすべて関係しており、インモラル性ときわめて強い結びつきがあることが判明したのだ。敵意、あるいは敵対性の高い人物とは例えば、

「(生活や仕事の中で)自分よりも重要ではない人物とよく一緒になる」

「もし他人を傷つけたとしてもたいした問題にはならない」

 という命題にイエスと答える人物である。

 敵対性の高い個人は、自分の目標や欲望を満足させることを優先させ、他人に及ぼす影響についてはあまり考慮しないため、インモラルな傾向を示す可能性が高まるという。例えば敵対性は悪意ある羨望と積極的に関連しており、羨望を抱く人物を自分と同じレベルにまで引き下げたいという欲望を伴うと研究チームは説明している。

 したがって自分の中の敵対性とインモラル性を推し量ってみるには、自分が羨ましいと感じた人物にどのような思いを抱くかで判明することになりそうだ。もし羨ましい人物に対して“引きずりおろしたい”という思いを抱くようであれば、残念ながら敵対性とインモラル性が高いということになる。

 実験はすべて参加者の自己査定と自己評価で行なわれたため、研究結果は制約を伴うものにはなるが、今後さらに研究を深めることで、人物の性格特性とモラリティの関係が詳細に解明できるとしている。自分自身においても他者においても、人格のダークサイドはあまり見たくないというのは人情だが、こうした研究がその人物の深い理解において少しは役立つものになるだろう。

■組織の文化と道徳観が従業員のモラルを反映している

 まさに現在、国家運営を任された崇高な任に携わる組織による不正が暴かれつつあるのだが、こうしたケースでは大抵の場合、“責任者”が特定・処分されて幕引きを迎える。しかし本当にその個人の責任問題で片付けてしまってよいのか。2017年に出版された著作では、モラル低下に組織が及ぼしている影響を指摘している。

 オランダ・ユトレヒト大学の特別教授であるナオミ・エレマーズ氏が2017年6月に出版した『Morality and the Regulation of Social Behavior: Groups as Moral Anchors』では、グループのモラルが個人のモラルに決定的な影響力を与えていることを解き明かしている。

「モラルはこれまで個人に属するものであることが強調されすぎてきました。私の研究では、グループのモラルの基準が個人のモラルを左右する決め手になっていることを示しています。職場環境の研究では、チームの企業文化と道徳観が、従業員によるビジネス上の意思決定のモラリティを反映していることが繰り返し示されているのです」(ナオミ・エレマーズ氏)

 エレマーズ氏は組織文化の問題を指摘するに留まらず、改善策についても言及している。不正を犯した個人を特定して排除するだけでは、その組織のモラルは向上しないということだ。

「個人を非難して排除することはたいてい逆効果になります。我々の研究では、これ(懲罰)が主にストレスを生じさせ、その結果、当人はその問題を否定するか、または些細なものと軽んじる傾向があることがわかります。これではグループのモラルは向上しません」(ナオミ・エレマーズ氏)

 個人に責任を負わせて処分するだけでは問題は何も解決しないということである。モラルあるポジティブな言動を奨励し褒賞を与える組織文化に変えていくことが肝要であるということだ。

■瞬間的な判断では不正や悪事はやりにくい

 不正や非道徳的行為を公式の場で咎められた場合の言い逃れの常套句として「記憶にございません」というフレーズがあるが、どうやらこの言い訳はサイエンス的には無理があるようだ。不正や非道徳的な行為を無意識に行なうことはきわめて難しいという。つまり多くの場合不正行為は考えた末に故意に行なわれているのである。とすれば記憶にないはずはないのだ。

 2017年にハーバード大学の研究チームが発表した研究では、アマゾンのクラウドソーシングマーケットプレイス(Amazon Mechanical Turk)を利用して募った参加者に、各種の問題に直面している人物を見せた後、複数の解決案を提示してそれが可能か否かを判断してもらう実験を行なった。

 直面している問題には例えば空港へ向かう途中に運転していた車が故障したケースなどがあり、解決案の中には非道徳的な行為(周囲の人から金品を強奪する)や、物理的に不可能な現象(帽子をキャンディに変える)なども含まれている。

 そしてイエスかノーかを判断する時間については、参加者の半数は1.5秒以内にできるだけ早く回答することが求められ、もう半数については少なくとも1.5秒が過ぎた後に回答することが要求された。提示される解決案にはさまざまなバリエーションがあるのだが、研究の目的は提示された非道徳的行為に対して人々にどの程度の抑制が働くのかを見定めることである。

 結果は顕著なものになった。回答に1.5秒以上の時間を与えられたグループにおいては、非道徳的解決策の4分の1が不可能であると判断したが、早い回答を求められたグループでは非道徳的解決策の半分は不可能であると判断されたのだ。つまり即断即決を求めらる判断では不正や非道徳的行為は行い難くなっているのである。

 どうして瞬間的な判断では不正や悪事を行い難くなのか? 研究チームによればそれは脳が“楽”であるからだと説明している。非道徳的行為は考慮が必要であり、そのぶん脳に負担がかかる。しかし道徳的な行いしかしないと決めてしまえば余計なことを考えずに済み、意思決定と行動がスムーズになるのである。

 ということは悪事を働く人物は常に奸計をめぐらしていることになり、記憶にないはずはないともいえる。「記憶にございません」という言い逃れがサイエンス的にもますます苦しくなってきているようだ。

参考:「ScienceDirect」、「Utrecht University」、「Harvard Gazette」ほか

文=仲田しんじ

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