ドラえもんが持っているアイテムの中に、頭からスッポリかぶると姿を消すことができる「透明マント」がある。秘めた透明人間願望を叶えるこの秘密道具だが、実際に多くの人は普段から“半透明”マントをかぶっている気分だというのだが……!?
■多くが抱いている「透明マント幻想」とは?
SFの世界でしか不可能な夢の超能力をもしひとつだけ試せると提案されたら、どんなことをしてみたいだろうか。怪我をしない鋼の肉体を得ることや、空を飛べる能力などと並んで“透明人間”になることもまた多くのリクエストを集めそうだ。そして実際に我々の透明人間願望は根深いようである。希望的観測が意識に影響しているのか、我々は実際に普段から“半透明”マントをかぶっているつもりになっているという。いったいどういうことなのか。
2016年12月に米・イェール大学の心理学研究チームが学術誌「Journal of Personality and Social Psychology」で発表した研究では、我々は自分で考えている以上に多くの視線に晒されているが、その事実を認めるのが難しいことが指摘されている。つまり街中など不特定多数の人々が集う場所で、自分は他者を見る側の人間であり、見られる側にいる人間ではないと多くは思っているのだ。
研究チームは参加者を募って6つの実験を行ない、我々の多くは日常の雑踏の中で他者から見られるよりも、自分のほうが周囲の他者を良く見ていると思い込んでいることが明らかになった。これは一種の矛盾であり、他者を観察する者ばかりが集っていれば、当然同じように自分も観察対象になっているのだ。しかし、当人の自覚としては、あくまでも自分は観察する側の人間であるという思い込みが強い傾向があることがわかったのである。研究チームはこの事実誤認を“透明マント幻想(Invisibility Cloak Illusion)”と呼んでいる。
「おおよその傾向として、人々は自分のほうが他者の存在にいち早く気づきよく観察していると思い込んでいます。日々の生活の中で、我々は一方的な観察主体であるという魅力的で抗しがたい願望にとらわれているのです」(研究論文より)
しかし何度も繰り返すことになるがそれは誤った考えであり“幻想”である。研究者はこの透明マント幻想がシンプルな2つの心理的バイアスによって形成されていると考えている。ひとつは、人は“観察者”の立場にいたほうが平静を保てるという心性であり、もうひとつは逆に他者に自分のことを知られることが不安であるという防御姿勢だ。もちろんそう思いたくなるのは人情ということになるが、それ相応に我が身も視線に晒されていることは否定しようのない事実であることを時折思い返してみてもいいのかもしれない。
■アイコンタクトで我が身が意識される
人々が行き交う公共施設内や街中では、通行の安全上であれ好奇心に駆られてであれ多くの人の姿を目撃することになるのだが、当然のことながらお互いに視線が合うケースも出てくるだろう。意識的であるなしに関わらず、相手のことをより良く知ろうと思わず視線を向けた結果、目が合うこともあるのだが、実はこの行為で知ることになるのは自分自身であるというから興味深い。
フィンランド・タンペレ大学とフランス・パリ第10大学の合同研究チームが2016年9月に発表した研究によれば、視線を合わせるアイコンタクトは非常にパワフルな社会的メッセージであることが指摘されている。他者と目を合わせることで、心理学的な注意喚起が引き起こされるだけでなく、認知行動においてさまざまな効果をもたらすということだ。
具体的には他者と目を合わせることで、現在自分が置かれている状況がより強く意識され、今直面している事態の経緯がより強く記憶に刻まれ、現状理解が深まることで社交的なふるまいを見せるようになり、しばらくの間見つめあった相手の人物をより肯定的なものと見なすようになるという。
このメカニズムの鍵となるのが、自己反映(self-referential)の働きである。つまりアイコンタクトの相手を“鏡”にして、現在の自分をより客観的に把握することができるのである。ことの発端は相手への漠然とした興味なのだが、しばらく目が合っていると相手に向けていた注意力が次第に自分の内面へ向かっていくということである。
「人の振り見て我が振り直せ」ということわざもあるように、他者を強く注視することに続いて、今度は我が身の現在の姿が意識されてくるということだろうか。あるいは偶然目にした美女・美男に思わず目を奪われてしまうが、しばらくすれば“我に帰り”呆然と見とれていた我が身を少し恥じることもあるだろう。他者の存在をアイコンタクトを交えてしっかりと意識することで、現在自分が直面している状況がまさに“他人事”ではなくなるようだ。
きちんと相手の目を見て対峙することは、我が身の姿の確認のためにも貴重な時間といえるのかもしれない。この“効能”は生身の人間でなくとも、例えば人物のポスターやある程度大きい写真(カメラ目線の)を見ることでも生じてくるというので、時折自分を客観視するためにも、特に一人暮らしの部屋の壁には人物のポスターが必需品なのかもしれない。
■メンタルヘルスの維持向上に寄与する自撮り行為
人物の写真もまた実際に生身の人間に対面した時と同じような心理的効果を引き起こすということで、写真が持つ潜在的なパワーがあらためて確認されるわけだが、SNS全盛時代の中にあってネット上に蔓延しているの“自撮り”の心理学的影響が最近の研究で報告されている。カリフォルニア大学アーバイン校の研究チームが2016年7月に心理学系学術誌「Psychology of Well-Being」で発表した研究によれば、自撮りを行なってSNSに投稿し友人たちとシェアする行為は、メンタルな健康の充足に好ましい影響を与えていることが指摘されている。
実験では、41人の大学生(女子学生28人、男子学生13人)に4週間にわたって学園生活の中での精神状態をスマホアプリを使って1日3回報告してもらった。最初の1週間は文章のみで報告してもらい、次の3週間は文章に加えて写真を撮って添えるように促された。
その際、参加学生は撮影する写真によって3つのグループに分けられた。
A.自撮り画像を撮影する。
B.自分をハッピーな気分にさせる物事を撮影する。
C.見た人をハッピーな気分にさせる物事を撮影する。
3つのいずれのグループも、写真を撮らなかった最初の1週間よりも次の3週間で気分がよりポジティブになっていることがわかったが、特に自撮りを習慣化したAグループが時間を経るごとに自信を高め、より充実した気分になっていることが判明したのだ。
それぞれの自撮り画像が実際にどう受け止められているのかはここでは問題にされないのだが、自撮り行為は当人のメンタヘルスを大いに高めるものであることが今回の研究で指摘されることになった。
シェアさせられる側は自撮りにあまりいい印象を抱いていないことを示唆する研究もあるのだが、ごく親しい身内の仲で適度に自撮りをシェアすることで当人がハッピーになれるのなら身近な健康法にもなる。“健全な自己肯定”の範囲内であれば自撮りはメンタルの健康に資する“癒し系”の趣味にもなりそうだ。
参考:「APA PsycNet」、「Science Direct」、「Springer」ほか
文=仲田しんじ
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