見詰め合う恋人同士はなぜ黙っているのか? “視線”を科学する話題3選

サイコロジー

 人混みの中でも、不意に「誰かに見られている」と感じることがあるだろう。そして大抵の場合、気になる方向を見ると案の定こちらを見ている人物を発見して一瞬目が合う。街中に出れば何度となく起る日常茶飯事の出来事ではあるが、見えるはずのない背後から何かを感じて後ろを振り向くと、やはりこちらを見ている人物がいたという不思議な経験はないだろうか。

■背後から視線を感じる体験は“第六感”なのか?

 人間は他からの視線を敏感に察知する優れた能力を進化の過程で獲得してきたといわれている。何者かに“狙われている”ことにいち早く気づけなかった個体はサバイバルできずに淘汰されてしまったと考えてもおかしくない。

 サルを使った実験では、他者から見られている状態では脳の特定の部分に反応が見られることが確認されている。つまり何もせずとも人から見られることだけである種のストレスを受けているのだ。

 かくも鋭い我々の視線の検知能力だが、これを補っているのは人間の瞳の構造にあるといわれている。人間の眼球はいわゆる白目の部分と瞳孔のある黒目(便宜上)の部分がはっきりと分かれている。これによって他者の視線の方向が瞬時に把握できるのだ。そして我々は自分に向けらている視線に素早く気づくことができるのである。

 しかし、視界に入っていない場所から向けられた視線に気づいたことはないだろうか。まさに背後からの視線を“感じて”、振り向いてみるとこちらを見ている人物を発見してしまったという“超能力”体験は、ある調査によれば我々の94%が持っているということだ。

 視野の外からの視線に気づく能力はいわゆる“第六感”なのか? この現象を説明する有力な仮説が最近登場しているようである。

 まずこの視野外からの視線に気づく体験は、自分にとって身近ではない場所で起こりがちであるという。意識するとしないとに関わらず、あまり親しみのない場所では自然に警戒心が高まり、感覚が鋭敏になっているのだ。つまり、周囲をキョロキョロ見回す行為も知らず知らずに多く行なっているのである。

 少しばかり“挙動不審”な状態にある者は視線を集めがちになるであろうし、背後からの視線に気づく確率が大幅に高まっていることになる。そして視野外からの視線に気づく現象自体はあくまでも偶然なのだが、感覚が普段よりも鋭敏になっているためこの体験が強く印象に残るものになるのだ。つまり視線に気づいた不思議な体験だけが記憶に残っており、無数の“空振り”体験はすぐに忘れ去られてしまうのである。

 残念ながら背後からの視線に気づく能力は“第六感”ではなく、確率が高まった状況下でのちょっとした偶然と、偏った記憶のメカニズムによるものであるという説明が有力になってしまったようである。しかしもちろんそこに“運命の出会い”の意味を込めるかどうかはお好み次第ということにはなるのだが……。

■見つめ合った状態では言葉が出なくなる!?

 いずれにせよ、他者の視線は向けられた本人がすぐに気づくほど特異なものであるのだが、お互いに目を合わせた状態、いわゆる“アイコンタクト”状態というのもまた考えられている以上に脳に強い影響を与えているという。それは思考能力を奪うほどのストレスになっているというのだ。

 京都大学の研究チームが2016年10月に認知科学系学術誌「Cognition」で発表した研究では、アイコンタクトが言語的思考を妨げていることを指摘している。お互いに目を合わせながら会話を続けるのはかなり難しい芸当だったのだ。

 確かに、お互いに見詰め合って愛を深める恋人同士はもはや言葉が必要ない世界に入っていそうだが(!?)、実の所はそもそも見つめ合った状態では言葉が出てこないということなのである。

 実験では26人のボランティア参加者に、PCディスプレイ上でこちらを見つめている人の顔と目を合わせた状態と、視線を外した状態で言葉の連想ゲームを行なってもらった。ゲームの内容は、例えば「ナイフ」という名詞を提示され、それに続く動詞「切る」や「刺す」などを選んで発言することだ。「ナイフ」なら比較的簡単だが、IT用語の「フォルダ」という名詞を提示された場合、「開く」や「閉じる」などの動詞を思いつくのに少し時間がかかるかもしれない。

 こうして言葉の連想ゲームをしてもらったところ、アイコンタクト状態では言葉が出てくるまでに時間がかかる傾向がはっきりと浮き彫りになったのだ。アイコンタクトと言語的思考能力はあくまでも別々の脳の働きではあるのだが、今回の研究でアイコンタクトは言語的思考を妨げることが指摘されることになったのである。

 見つめ合った状態では頭が働かず言葉が出てこないということは、逆に言えば見つめ合った状態で耳に入った言葉には批判能力も弱まるためその内容を信じやすくなることも示唆されてくる。確かに、テレビ画面のニュースキャスターに見つめられながら聞くニュースは、ラジオで聞くニュースよりも真に受けやすいものになるのかもしれない。

 相手の目を見ないで話すのは確かに失礼なことではあるが、ジッと目を見つめ続けた状態で会話を続けるのは脳科学的に無理があるということになりそうだ。

■快適な“アイコンタクト”は何秒まで?

 パートナー同士ならともかく、アイコンタクトの効力はあまりにも大き過ぎるため、初対面の相手などへは“見すぎ”もまたお互いにとって大きなストレスになるともいえる。

 ビジネストークの局面などでも、相手の目を見て話すことがセオリーとされているが、これまでの研究でアイコンタクトは実は“諸刃の剣”であることが指摘されている。少なすぎれば説得力が薄れるし、あまりに多すぎれば逆に欺こうとしているのではないかとさえ受け取られることもあるという。

 特に日本社会においては、真正面からジッと見つめられる行為に対して、「近づきがたい」感じを受けたり、相手が「怒っている」と認識されやすいことが、日本とフィンランドの共同研究で指摘されている。

 ではいったい、どれほどの時間のアイコンタクトであれば、過不足なく効果を発揮できるのだろうか? この問題に取り組んだ研究が、ロンドン大学の研究チームによって2016年7月に発表されている。

 学術誌「Royal Society Open Science」に掲載された研究では、498人の実験参加者に俳優がカメラ目線でジッと見つめるビデオを観賞してもらった。見つめる時間の長さは3種類あり、参加者は見つめられる時間が長すぎて不快に感じた場合や、逆に短すぎると感じた場合にはすぐにボタンを押すように求められた。加えて実験参加者の瞳孔と視線は最新のアイトラッキング技術によって実験中に常時計測された。そして研究では人間にとって快適なアイトラッキングの時間は3.3秒であることが割り出されたのだ。

 対面コミュニケーションの際には3秒に一度は視線を外して会話を行なうことで、お互いにとって快適に交流が進むということになる。もちろん恋人同士であればこの限りではないだろうが、初対面の人との面談などの際や、YouTubeなどでカメラに向かって語りかける動画を撮影する際には思い返してみても良い科学的知見ではないだろうか。

参考:「The Conversation」、「Science Direct」、「Royal Society Publishing」ほか

文=仲田しんじ

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