“自虐ネタ”で周囲を笑いに包む人は成功する!?

サイコロジー

「笑い」が健康にもたらす好影響が昨今よく指摘されているが、ひと口に笑いといってもさまざまな種類がある。では特にどういった笑いが健康に資するのだろうか。意外なことに最新の研究では“自虐笑い”が健康に良いという。いったいどういうことなのか?

■“自虐笑い”はソーシャルでユーモアに優れている

 何を見て何を聞いて笑うのか? 少し考えればそこにはさまざまな種類の笑いがあることに気づかされる。そしてどんな笑いが好まれるのかは、それぞれの地域の文化的な要素も左右しているようだ。

 面白い表情やアクション、滑稽なモノマネやギャグなどももちろん愉快だが、ちょっと毛色の変わった笑いに“自虐笑い”がある。自分の失敗談や勘違いなど、自分で自分を笑いものにすることだ。自分を貶める行為のようにも見えるが、最新の研究ではこの“自虐笑い”こそが心身の健康を高めるものであることが指摘されている。この不思議なメカニズムの鍵となっているのは“ユーモア感覚”にあるということだ。

 スペインの研究機関であるMind, Brain, and Behaviour Research Centre(CIMCYC)の研究チームが2017年9月に「Personality and Individual Differences」で発表した研究では、自虐的なジョークをよく発している者は幸せな人物であることを報告している。

 自虐的なユーモアを表現する傾向のある人物は、幸福感などのメンタルの健康と社交性の程度が高いことが突き止められ、“自虐笑い”を口にする人ほど、実は社交性が高くユーモアに溢れていることが示されたのだ。

 しかしながらこの傾向は、属している文化圏による影響が強いことも指摘されている。文化によっては“自虐笑い”は不謹慎なものであると受け止められる場合もあるのだ。いわゆる“冗談も言えない”文化ということになるだろうか。少なくとも今回の研究が行なわれたスペインや、この研究結果に頷くメディアが多いイギリスの社会では“自虐笑い”はユーモアとして受け止められていることになるのだろう。今後研究チームはこうした文化的な差異にも考慮した上で、さらに「笑いと健康」についての研究を深めていくということだ。

 自分にとって外の対象や出来事を笑いものにする人に比べて、自分で自分を笑いものにする“自虐笑い”傾向の人物は、少なくとも怒りを静めることに長けているということだ。いわばより自分を客観的に見ることができるということだろう。

 もちろん笑えない“自虐ネタ”もあるとは思うが、それでもこうした自虐的な話は当人以外は直接傷つける可能性が低いため、確かにソーシャルな言動ということになるのかもしれない。当人のメンタルの健康に寄与して、加えて周囲を笑わせることができるとすれば“自虐笑い”はまさに一石二鳥の優れた笑いだったということになるのかもしれない。

■なぜジョーク好きで愉快な人に成功者が多いのか

 公の場での不謹慎な発言は慎みたいものだが、一説では成功を収める人物に限ってジョーク好きな傾向があるとも言われている。

 もちろんリーダーシップが“冗談半分”で務まるはずはないのだが、優れたユーモアセンスはお笑い芸人やコント脚本家だけに必要なスキルではなく、リーダーシップにおいてもユーモアセンスは強力なツールになることがこれまでの研究から指摘されている。

 なぜリーダーシップの獲得においてユーモアセンスが武器になるのか? それはユーモアがそれを口にした当人の“自信”のあらわれであると受け止められるからであるという。

「もし言いたいことをジョークにして人に伝える勇気を持っていれば、それは功を奏してもしなくても、人々はあなたを自信のある人物だと見なします。成功するジョークを口にするには、実際のところ一般的な知性だけでなく、かなり高い感情的な知性(EQ)を必要とします」と語るのはハーバードビジネススクールのアリソン・ブルックス教授だ。

 しかしもちろん場所と状況はよくわきまえなければならない。パブリックな場所での不適切な発言は最悪の場合、キャリアの失墜に繋がるものであることは世のゴシップやスキャンダルを見れば明らかだ。

 そこで検討してみたいのが“ひかえめなジョーク”だ。あまり強烈ではないひかえめで軽いジョークは、ある程度オフィシャルな場でも有効に作用するということだ。

「ユーモアが成功するかどうかに関わりなく、ユーモアを織り交ぜる試みは常に当人の“自信”を伝えていることを私たちは発見しました。ジョークが伝えるメッセージはその内容に関わらず『ジョークが言えるほど自分に自信があります』というシグナルなのです」とペンシルバニア大学ウォートン校のマウリス・シュバイツァー教授は説明する。

 これらの研究が示唆しているものは、オフィスや公の場などで言動に制約はあるにしても、ユーモアの片鱗を見せたほうが良いということである。

“冗談も言えない”ような雰囲気に包まれた環境で、本当に冗談のひとつも言わないで過ごしていれば、それはむしろ無能さの表明と受け取られてしまうかもしれない。適切なTPOでユーモアを口にすることで、場を和ませると共に自身の人物評価も上がるとすればこれもまた一石二鳥である。

■ブラックユーモアを好む人物は高IQ

 不適切な発言を行なって自分の身を危険にさらすようなことはくれぐれも避けたいものだが、それでも世の中にはもっぱら物騒で後味のわるいブラックユーモアを好む人々もいる。最近の研究では、こうしたブラックユーモアを好む人物は知能指数が高い傾向があることが報告されている。

 オーストリア・ウィーン大学の研究チームが2017年に発表した研究では、156人の成人にブラックユーモアを描いたマンガ(風刺画)の数々を評価してもらう実験を行なっている。実験に使われたブラックユーモアが表現されたマンガの題材には、死、病気、先天異常、ハンディキャップ、苦笑い、戦争といった邪悪な対象をユーモラスに扱った内容であった。マンガの評価に加えて、実験参加者は各種の知能テストや性格診断テストも受けた。

 データを分析した結果、ブラックユーモアがあまり好きではなく、非言語的および言語的知性においてジョークの理解度が平均的なグループは、性格特性として気分障害と攻撃性が高かった。一方、ブラックユーモアが好きでジョークの理解度が高いグループは、非言語的および言語的知性が高く、気分障害と攻撃性が低かった。つまりブラックユーモア好きは高IQで、攻撃性が低く、精神が安定している傾向が浮き彫りになったのだ。

 これらの結果は、ユーモアの理解が認知能力のみならず感情的な要素にも関わっていて、ユーモアを処理する過程で考え方の枠組みの変更や、アイディアを混ぜ合わせたりすることに影響を及ぼしているとして研究は結ばれている。あえて大雑多に言ってしまえば、ブラックユーモアを楽しむことは、ちょっとした“ブレインストーミング”であり、きわめて知的な活動なのである。

 ブラックユーモア好きは高い知性の表れということにもなるのだが、これはある程度人生の中で一貫している嗜好であるという。人生の半ばにしてある日突然、ブラックユーモアが好きになった場合はむしろ注意が必要らしい。こうしたユーモアの好みの変化は、認知症がはじまる前触れである可能性もあるということだ。

 いずれにしても最新の研究ではユーモアや笑いを手がかりにしてその人物のいろんな側面を占うことができて興味深い限りである。

参考:「Science Direct」、「Harvard Gazette」、「Springer」ほか

文=仲田しんじ

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