自撮り投稿で評価を下げている!? SNS全盛時代の落とし穴

サイエンス

 SNS全盛の時代を迎えてネット上には自撮り写真が溢れかえり、街中での自撮り撮影中の人の姿も日常の風景となっている。かくもSNSユーザーを魅了する自撮り写真だが、投稿する本人の意図に反して残念ながら受け手側はそれほど歓迎していないという研究結果が報告されているのだ。

■“自撮りのパラドックス”とは?

 自撮り写真の投稿が日課になってしまっている人々がいるのはご存知の通り(!?)だが、投稿するご当人のサービス精神はそれほど功を奏していないことが明らかになっている。もちろんある意味で仕事の一環として自撮りを投稿している芸能人やタレントなどはその限りではないだろうが、Instagramなどを定期的にチェックする受け手側は投稿者が思うほどに自撮り写真を求めているわけではないという。

 ドイツ・ミュンヘンのルートヴィヒ・マクシミリアン大学の研究チームが2017年に発表した研究では、238人のSNSユーザー(ドイツ、オーストリア、スイス)を調査して自撮りについてどのような認識を持っているのかを調べた。

 この238人のユーザーのうち、77%が月に1度以上は自撮り写真を撮って投稿(あるいは送信)しており、49%が週に1度はほかの人の自撮り写真を見る機会があるという。調査の結果、意外というべきか多くのユーザーが自撮り画像に対してあまり良い印象を抱いていないことが浮き彫りになったのだ。

 その多くは自己評価を高めたり自己充足を得たりと、ポジティブな動機で自撮りを行いSNSに投稿しているのだが、たいていの場合その望みは叶えられずむしろナルシスティックで欺瞞的な印象を与えてしまうという。これを研究では「自撮りのパラドックス」と呼んでいる。

 友人などの他人の自撮りを見せられた際に、90%ものユーザーはそれが自己顕示欲のあるナルシスティックなものと感じているのだが、その一方で46%のユーザーは自分の自撮り写真がそのように思われることはないと考えているということだ。つまり自撮りを撮って公開する者の半数近くは、他人の自撮りを見せられてもたいして嬉しくならないことは自覚しているのに、自分の自撮りは喜ばれるはずだという希望観測的な矛盾に陥っているのである。

 また自撮り写真を見たユーザーの82%は、どうせなら普通に撮ったスナップ写真のほうを見たいと考えるという。自撮りが習慣になっているという向きには少しばかり一考が求められる話題だろう。

■「いいね!」行為で行動力が減退する!?

 自撮り行為だけではない。「いいね!」行為についても少し考えさせられる話題が持ち上がっている。「いいね!」ボタンは行動力を失わせるというのである。

 2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した一連の反政府運動である「アラブの春」は、SNSが果たした役割が大きくネット革命とも呼ばれた。チュニジアでは「ジャスミン革命」によりベン=アリー政権が崩壊し、リビアではカダフィ政権が崩壊したが、必ずしも「アラブの春」はすべての国でうまくいったわけではない。

 そこで持ち出されてくる言葉がスラックティビズム(slacktivism)である。2002年5月29日の「New York Times」の記事で「スラックティビズム(slacktivism)」という新しい言葉がはじめて登場したのだが、それは「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」を繋げた合成語で、実際の労力や負担を負わずに社会的な見解を表明し自身を満足させる行為を表現した用語である。強引に訳せば「怠け者的社会参加」とでも言えるだろう。

 確かにSNSなどを使って「アラブの春」は各地で大規模なデモを引き起こした。しかしこのようなネットを使った運動は簡単であるぶん、このスラックティビズムに陥りやすく、実際にはあまり効果がないのではないかという批判も一部からあがっている。要するに大人数が集うことだけで達成感を感じてしまい、そこで終わってしまっているのではないかという指摘だ。

 2014年に発表された研究では、Facebookの「いいね!」ボタンを押す行為もまた、このスラックティビズムに繋がるものであることを示唆している。研究では「いいね!」ボタンを押す行為によって良い行いした満足感が得られ、そこからさらに次の行動に繋げる意欲を失わせてしまう心理メカニズムが説明されている。

 この現象はまた、社会的手抜き(social loafing)という用語でも説明されており、これは個人で作業するときの努力や熱意に比べて、集団で作業する際に個々の努力量が低下する現象である。「いいね!」を押した大勢の人の中の一員になったことだけで満足してしまうということだろう。

 例えば祭りでお神輿を担ぐ場合、少人数だと各人がかなり発奮しなければならないが、大勢で身を寄せ合って担いでいるとついつい力を抜いてしまう者があらわれ、そうした担ぎ手が多くなってしまうと思わぬ事故を招いたりする。「○○したつもり」の落とし穴にはまって実行力を衰えさせないためにも、これからは「いいね!」を押す前に一呼吸入れてみてもよいのかもしれない。

■1週間の“Facebook断ち”で劇的に健康回復

 自撮りに「いいね!」と、SNSに対する新たな認識が深まったところで、たまには“SNS断ち”をしてみてもよいかもしれない。最近の研究では1週間の“Facebook断ち”が心身の健康に寄与することが報告されている。

 デンマーク・コペンハーゲン大学の研究チームは1095人のFacebookユーザー(86%が女性)をランダムに2グループにわけて実験を行なっている。Aグループには1週間“Facebook断ち”をしてもらい、Bグループはこれまで通りにFacebookを利用してもらった。Facebookユーザー1095人の平均年齢は35歳、Facebook上の友人は平均で35人、1日にFacebookに費やす時間は平均1時間強だ。

 どちらのグループも1週間後に心身の健康を推し量るテストを受けてもらったのだが、やはりというべきなのか、1週間の“Facebook断ち”をしたAグループは生活における満足感が高まっており、感情面の落ち着きが増してきている傾向が確かめられた。

 Facebookのヘビーユーザーで、自分からはあまり情報発信をせずに受け手の立場で利用しており、フォローしているユーザーを羨ましく感じている者ほどこの1週間の“Facebook断ち”をしたことによる心身の健康増進効果がテキメンであったという。逆にFacebookのライトユーザーは“Facebook断ち”をしてもそれほどの効果はなかった。

「この研究が明らかにしているのは、もしFacebookのヘビーユーザーだった場合、心身の健康のためには利用時間を減らすべきだということです。さらにもし羨望を感じるフォロワーのページがあればそれはあまり見ないようにして、情報をあまり発信せずに受動的に使うスタイルを変えていくべきです」(研究より)

 1週間の“Facebook断ち”をしたAグループの中の13%にあたる者は、実はどうしても断ち切れず期間中にほんの僅かFacebookにアクセスしてしまったことを正直に打ち明けている。やはりヘビーユーザーには1週間とはいえ完全に断つのはなかなか難しいようである。1週間の“Facebook断ち”ができなかったということはかなりの“重症”であり、計画的に利用時間を減らし最終的には完全にFacebookを止めることも考慮に入れるべきであるという。

 もちろん一方的にFacebookが“悪者”ということはなく、恋人や親しい友人とのFacebookを通じた交流はむしろ心身の健康を増進させるものになることが、以前の研究で指摘されている。今後はTwitterやInstagram、SnapchatなどほかのSNSでの検証も視野に入っているということだ。ともあれSNSの利用はほどほどにということに尽きるだろう。

参考:「Frontiers」、「Psychology Today」、「Mashable」ほか

文=仲田しんじ

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