自分から望んで仕事を抱え込んでいる? ワーカホリックの心理学

サイコロジー

 組織にとって優秀な人材を失うことはまさに死活問題だ。しかし今日のビジネスの現場にあっては、優秀な社員ほど燃え尽きたり辞職せざるを得なくなるメカニズムが一部で出来上がってしまっているという。

■少数の優秀な社員に負担と責任が集中している

 今日の高度にネットワーク化された組織は、時と場所を越えた緊密な共同作業を可能にしている。ある調査ではビジネスの現場における共同作業はこの10年で50%以上も増加しているということだ。

 テクノロジーの発達で緊密な共同作業が容易になったことで、組織のより効率的な運営が可能になり多くの分野で経営の変革がもたらされている。組織にとっては歓迎すべきことではあるが、共同作業が占める割合が高まったことが、優秀な社員にこれまでにない多大な負荷をかけているという。この負担は“燃え尽き症候群”やうつの原因になり、最悪の場合に辞職にも繋がるものになる。いったいビジネスの現場で何が起っているのか。

 2016年の「ハーバード・ビジネス・レビュー」のレポートによれば、広範囲をカバーする共同作業によって、キーマンとなる少数の人物に作業と責任が集中することが指摘されている。

 もちろんこれまでの組織においても、責任あるポストに就いた社員には相応の仕事が任されてきたのだが、今日の高度にネットワーク化された組織にあってはシステムの構造上の問題で少数の優秀な社員に負担が集中してくるという。そしてもちろん、こうした実状に対し組織の上層部が何の対策も講じなければこの少数の優秀な人物を失うことにもなり得る。

 社内連絡にEメールが標準化されたことでいつでも連絡が可能になり、何らかの急を要する事態が起きれば課業外のプライベートな時間も犠牲にしなければならなくなるケースも増えている。

 かつてのように顔をつき合わせる関係にあれば、助けを求める側にも多少は遠慮やためらいが生じたかもしれないが、顔の見えないEメールではまるで当然の権利のように安易に支援の申し出が行なわれ、その結果、一部の優秀な社員に支援要請が集中することになるのだ。そして厄介なことにこの状況が本人以外には見え難いことが大きな問題となっている。

 こうした状況が無理解のままに放置されていると、この優秀な社員たちは逆に組織の障害になり得る。燃え尽きてしまい仕事をサボタージュするようになったり、ある日突然辞表を突きつけて上司をショックに陥らせることになるのだ。

 こうした悲劇を避けるには、なによりも上層部の正確な仕事状況の理解と、共同作業の範囲に制限をかけることなどが必要とされてくるだろう。また優秀な社員の側も身に余る量の仕事については「ノー」を言えるシステムを作ることも検討しなくてはならない。効率化が極限にまで進められる組織にあって、その裏側にこうした実態が珍しくないことを理解する必要があるだろう。

■自分から仕事を抱え込む人々とは

 優秀な社員をスポイルしてしまう組織の問題が叫ばれているのだが、優秀な人物の側にも自分が優秀で野心的であるという自覚を持っているからこそのバイアスがある。野心的な人は自分に厳しいのである。その結果、多くの仕事を引き受けて自分で自分に負荷をかけてしまうのだ。

 自分に厳しく接するのか、それとも自分にやさしくするのかは人それぞれだが、最近の自己啓発関連の流れでは今の自分を受け入れて優しく扱うセルフコンパッション(self-compassion)という考え方が重要視されているようだ。そしてサイエンスの観点からも、2015年に発表されたドイツの研究などでセルフコンパッションが充実した生活に強く結びついていることが指摘されている。満足度の高い生活に繋がるセルフコンパッションだが、ではなぜ一部の人々はあえて自分に厳しくしているのだろうか。

 カナダ・マニトバ大学のケリー・ロビンソン氏をはじめとする心理学研究チームが2016年に発表した研究では、自分に優しくするセルフコンパッションを忌避する人々のメンタリティを探っている。

 研究チームは161人の成人にセルフコンパッションや自己批判(self-criticism)などについての質問調査を行なったところ、ほぼすべての人がセルフコンパッションは幸せな生活に繋がる良いものであると回答していることがわかった。

 しかしそうは思っていても、ある割合の人々は生活の中で自分を優しく癒す行為をあまり行なわず、仮に行なったにせよその後の満足度はあまり高くないという実態も明らかになった。この人々をどう説明すればよいのか。

 セルフコンパッションなどとは無縁なこれらの人々こそ、野心家であり自分に厳しい人々なのだ。こうした人々は、セルフコンパッションは怠惰であり自分を弱体化する行為と見なしている。自分自身に負荷をかけてそれを成し遂げることによって、自分の強さと能力を確認しているのである。自分を甘やかさずに課題に挑むことで自分の優秀さを確認し、それがある意味で彼らの幸せになっているのだ。そのため多くの仕事を引き受けて“自分にムチ打つ”働きができるのである。

 仕事中毒、いわゆワーカホリックと呼ばれる人にこうした人々が多いと思われるが、働き過ぎて“自滅”してしまえばむしろ組織にダメージを及ぼすことにもなる。自分で自分を燃え尽きさせてしまうことのないよう気をつけたいものだ。

■目標とは“攻略”するものではなく自分が変化する先

 自分を“イジメ”てまでも高い充足感を得ようとする行為にはいろんな問題をはらんでいそうだが、それでも人類史上のさまざまな功績は高い理想を持ち努力を厭わない野心家の人々を抜きには語れないとも言える。それだからこそ、野心家の人々には陥ることがないように気をつけなければならない落とし穴がある。

 組織心理学で作家のベンジャミン・ハーディ氏によれば、野心家が間違えやすいのは、成功は努力の対価として外からやってくるものであると考えがちであるという。そうではなく真の成功はその本人の内部で起るものであるということだ。成功にとって必要なのは、大志を抱いて目標を“攻略”することではなく、目標とするものに“浸りきる(commitment)”ことであるとハーディ氏は解説している。

「大金を求めるのでなく、あなたにそれを達成させてくれるもののために億万長者になりましょう」とは、アメリカの起業家で講演家であり作家でもあるジム・ローン氏の言葉である。つまり、もしミリオネアになりたいのであれば、ミリオネアに足るに相応しい人物にならなくてはならないということでもある。そして“浸りきる”ことで自分を変えることによって成功がもたらされるのだ。

 高い理想を掲げて大志を抱くことは、褒められこそすれ非難されるいわれはないはずだが、ややもすれば目標に向かって努力する自分という“主体”を強調するものになってしまう。自分の外にある目標に到達するために不断の努力を続けることになる。

 しかしそうした外側から攻略するアプローチは間違いであるという。目標とするものに“浸りきって”自分を変えながら、最終的に自分がその目標に姿を変えてしまうことが真の成功であるというのだ。また“浸りきる”ことで自分が変るとともに、自分の周囲も変ってくるという。

 目標とは“攻略”するものではなく自分が“成る”ものであるとすれば、確かに目標へのアプローチはずいぶん違ったものになるだろう。努力する方向を間違えないようにしたいものだ。

参考:「Harvard Business Review」、「APA PsycNet」、「Inc.」ほか

文=仲田しんじ

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