肌の露出が多いセクシーな服装の女性は、特に男性にとっては思わず視線が誘われる魅力的な存在であるだろう。しかしながら仕事を含む日常生活の中ではセクシーな女性に目を奪われてばかりもいられない(!?)。
■肌の露出が多いセクシーな女性はエイリアン!?
視線がつい誘われるというレベルからさらにひと足踏み込んで、実際のところ我々は肌の露出の多い女性をどう見ているのか。イタリアとオーストリアの研究チームは脳活動を測定した実験でこの問題に取り組んでいる。
実験では34人の参加者(男性15人、女性19人)にシンプルなビデオゲームに取り組んでもらった。ゲームの内容はバレーボールをトスしあう課題で、相手のプレイヤーには2種類の女性が用意されている。女性Aはミニスカートで肩が出た服装でハイヒールを履きメイクが濃い。一方の女性Bはジーンズ(長ズボン)にTシャツでナチュラルメイクである。そしてゲームでは条件によってどちらかの女性がトスの輪からいったん“仲間はずれ”になる時間帯がある。
悲惨な光景を目にした時など、いわゆる“心が痛い”時に活発になる脳の部位に島皮質(insular cortex)などがあるのだが、実験参加者はfMRIで脳活動をモニターされた状態でゲームをプレイした。この実験の狙いは、女性ABそれぞれが“仲間はずれ”にされている光景を見たときに、参加者が“心の痛み”をどれほど感じているかを見極めることにある。
参加者のゲームのプレイ内容と脳活動の動きを分析したところ、セクシーな格好の女性Aが“仲間はずれ”にされているときは、“心の痛み”を感じる脳活動が著しく低くなっていたのである。
“心の痛み”を感じるということは、その人物の身になって共感しているということだが、参加者はジーンズにTシャツ姿の女性Bには共感できるのに、セクシーな女性Aにはあまり共感できていないことが明らかになったのだ。つまり肌の露出が多いセクシーな女性は仲間はずれにされていてもあまり可哀想には思えないのである。いわば“エイリアン”のように受け止められているのだ。
肌を露出したりボディの性的な魅力を強調したりすることは“性のモノ化(sexual objectification)”に繋がるとして、メンタルにネガティブな影響を及ぼすと考えられているが、今回の実験で脳活動の面からもこの“性のモノ化”のネガティブな側面が確かめられたことになる。セクシーな女性には人間性、共感性、道徳性がいずれも低く評価されていたのである。しかしなかなかデリケートで場合によっては政治性も帯びてくる問題であるだけに慎重に扱わなくてはならない研究結果だろう。
■“女性のモノ化”で起きる5つのネガティブな現象
“性のモノ化”がもたらすネガティブな影響は、男性よりもはるかに女性において深刻なリスクをもたらしている。特に思春期の女子にとって心身に及ぼす影響は、無視できない教育問題にもなっているのだ。そこでフェミニズムに関する著作の多いライターのスザンナ・ワイス氏が女性の“性のモノ化“が及ぼすネガティブな影響を5つ解説している。
1.摂食障害
“性のモノ化”は女性と少女の認識を“見た目第一”に導く。もし自分が世の中の美の基準に到達していないと感じれば、理想の体型を目指すために摂食障害へと向かう。2002年のオーストラリアの研究では、自分の身体を“モノ化”して認識している少女ほど、自身の外見にまつわる不安をより多く抱えているということだ。そして拒食症などの摂食障害へと繋がるのだ。
2.学業が困難になる
女子生徒は概して男子生徒よりも数学の成績が低いといわれるが、これも“モノ化”が理由であるという。1998年の米・ミシガン大学の研究では、女子生徒に水着とセーターを試着した後にそれぞれ学科テストを受けてもらったのだが、体型をあまり意識しないで済むセーターを試着した後のほうが数学を含む学科テストの成績が良くなる傾向があることが報告されている。自分の体型を意識することで知的リソースが奪われてしまっていると考えられるということだ。
3.うつのリスク
2006年のアメリカの研究では、思春期の少女においてうつの程度は自身の身体をどの程度“モノ化”しているかに比例していることが報告されている。自身の身体の“モノ化”が当人のうつの指標になるのである。体型イメージの問題と“モノ化”によって誘発される自信喪失とがうつへの入口になっているのだ。
4.内面性の美を軽視
外見の美しさに偏重すれば、優しさや知性などの内面性の美しさが軽視されがちになる。そして外見の美を磨くことに無駄な時間が費やされ、学業や仕事、大切な人との親交を育むことに費やす時間が削られてしまう。
5.男性との関係が難しくなる
女性の“性のモノ化”はもちろん男性にも深刻な影響及ぼす。メディアに登場する女性の外見の“平均点”が上がることで、男性が思い描く“理想の女性”の水準が上がり続けている。決して少なくない男性が現実の“生身の”女性と感情的な交流を深めることに困難を感じているということだ。
これらの問題の根底には当該の女性が主体性が持てておらず、また男性側も当該の女性に主体性を感じていないことがあげられる。女性は決して誰かの欲望の「対象」ではなく、自ら意思決定を行い相応の欲望を持つ“主役”であるというあたりまえの理解が今なお広く求められているのだろう。
参考:「University of Vienna」、「Bustle」ほか
文=仲田しんじ
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