フランスのラジオチャンネル「France Info」の調査によれば、現在30%の勤労者が“退屈ストレス”に苛まれているという。仕事が暇なことでストレスを感じ心身に変調をきたし、実際に疾患を発症するケースも少なくないというから深刻な問題だ。かつて仕事が暇すぎて退職した元従業員が当時の上司を起訴するという一件も起っている。
■仕事が暇すぎて離職した元従業員が裁判を起す
日本では“ブラック企業”が従業員を過度に酷使する件が問題になっているが、フランスでは昨今、仕事が暇すぎることが問題になっているという。そして仕事が暇すぎて体調を崩し離職した元従業員が元の上司を訴える事態にまで発展しているのだ。
有名な香水メーカー「インターパフュームズ」の元従業員、フレデリック・デスナード氏(44歳)は、2010年から2014年の4年間、上司から“暇すぎる”業務を担当させられてうつ病になったとして36万ユーロの賠償を要求する訴えをかつて起している。
日本語には「閑職に追いやられる」とか「窓際族」などの言葉もあり、暇にさせられるということが“戦力外通告”の意味を持っていたりもするが、人権意識の高いフランスでは「閑職に追いやられる」ことにこれまでネガティブな意味はなかったという。
しかしいかに図太い(!?)フランス人労働者にとっても昨今の民間企業の景況感の悪化において、“閑職”がリストラを意識させ、心身へのストレスになるものになったのだ。そして“暇すぎる”と感じているフランス人勤労者は全体の3割にも達しているのである。
フランスは労働組合の力が強く、何かといえばストライキばかりしているイメージが強いのだが、昨今の世界同時不況はフランスの労働者ですら“閑職”がストレスに感じられる事態を迎えているということだろうか。職場での“退屈ストレス”が本格的に問題となる時代を迎えたようだ。
■退屈がキャリアチェンジを決断させる
日本では高度経済成長の時代からバブル経済の頃まで、“モーレツ社員”や“24時間戦えますか”という言葉も生まれハードワークが推奨され、またそれが美徳であるかのような風潮があったのかもしれない。それに起因する“燃え尽き症候群”や最悪の場合“過労死”という問題も深刻になった。90年代初旬にバブル経済が弾け、90年代後半からは、内需を拡大するために企業にはなるべく社員に休日を消化させることが勧告され、“モーレツ社員”は徐々に過去のものへとなっていった感もある。
長時間労働、過重労働への批判、規制が高まる中、実は意外に見過ごされているのが“退屈ストレス”である。仕事の“退屈ストレス”が原因で当初目論んでいたキャリアを変える決断を下しているケースも出てきているのだ。
30歳から大手保険会社に17年勤務してきたスティーブ・コスター氏は、ある日の朝、どうしても会社へ出勤できなくなったという。実はこの17年間、ずっとコスター氏は“何もしていない仕事”にストレスを感じ続けていたのである。「スーツに身を包んで職場のデスクに座っている私の姿を見れば、誰もが熱心に仕事に取り組んでいると思うでしょうが、実際にほとんど何の仕事もしていないのです」と話すデスナード氏。蓄積した自分への“不本意さ”が飽和点に達してしまったのである。
その朝、コスター氏はやっとのことで会社に電話をかけて「出勤できなくなりした」と上司に告げたという。「何があったの?」と当然、上司が聞き返したのだが、もはやコスター氏には言い訳を取り繕うことすら億劫になっていたという。この後、コスター氏は会社を退職すると共に、カンウンセラーの診断をしばらくの間受けることになった。そして針治療士としての第二の人生を歩みはじめている。
この他にも、スーパーマーケットチェーンのマネジメント業務のポジションが退屈で転職を決めたケースや、語学教師の職を捨てて好きな旅行の世界に足を踏み入れトラベルライターになった例なども報告されている。
今日、退屈はますますのっぴきならない問題になっていて、多くの人にとってストレスの発生源であると考えられているのだ。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの研究チームが2010年に発表したイギリスの公務員7000人を24年間にわたって調査した研究によれば、仕事に退屈を感じている人々は寿命が短いという結果が導き出されている。退屈は現代人にとって寿命を左右しかねないまさに致命的な問題ということになりそうだが……。
■退屈とうまくつきあい人生を豊かに
このように人間の寿命すら左右する“退屈”の問題が指摘されているわけだが、セントラル・ランカシャー大学の心理学者、サンディ・マン博士によれば、退屈が問題になっているのは、それまでうまく退屈とつきあってこなかったことが問題なのだという。
退屈とうまくつきあえない者は、退屈をまぎらわす“刺激”を手っ取り早く求める傾向があり、ジャンクフードを食べたり、アルコールや薬物に溺れたり、ギャンブル中毒になったりすることで間接的に寿命を縮める結果を招いているということだ。うまく退屈につきあうことができれば、むしろ我々の生活が豊かにすることができるという。退屈がもたらす好ましい影響は6つもあるということだ。
●退屈はクリエイティビティを高める
前出のサンディ・マン博士がかつて行なった2つの実験では、退屈を経験することでクリエイティビティが高まるという結果が導き出されている。電話帳を読ませるなどの退屈な作業を課されたグループほど、何の変哲もないプラスチックのカップの使い道を数多く考えることができたということだ。
マン博士によれば退屈な状態が思索を深め、連想力と発想力を高めているという。
●退屈が間違いに気づかせてくれる
米・ルイビル大学のアンドレアス・エルピドロウ教授によれば、退屈は物事を観察し規則正しく計画を進めるための相応しい状態であるということだ。退屈がないことには感情に流されやすくなり、さまざまなミスを犯すことになるという。もし間違った方向に進んでしまった場合でも、退屈する状態にあればその間違いに気づき、修正することができるということだ。
●退屈によって未来志向になる
カリフォルニア大学サンタバーバラ校の研究チームが2011年に発表した研究によれば、退屈によって目の前の仕事に専心しなくてもよい状態には夢想状態である「マインド・ワンダリング(mind-wandering)」が起りやすくなることを指摘している。このマインド・ワンダリングの内容の半分は未来に対する漠然とした考えであり、自然に自分の将来を考えることが増えて未来志向の考え方になる。学業などの長期的目標に取り組んでいる場合、やはりある程度の退屈な環境や状態が必要とされているということだろうか。
●退屈は生産性を向上させる
退屈は怠惰と結びついているようなイメージもあるのだが、イスラエルのバル=イラン大学の研究によれば決してそのようなことはなく、退屈はむしろ生産性を向上させるという。退屈している時のマインド・ワンダリング状態は脳の経頭蓋を刺激し、知的生産を助ける働きがあるということだ。
●退屈が“いい人”にする
アイルランド・リムリック大学の研究によれば、退屈は人を利他的にするという。単調な作業をしている時や、何もすることがない時など、退屈している状態で人はその活動や状況に意味を見出せなくなっていることになる。
だがこの状態は逆に、自分なりの意味を独自に見出すことができるという状態でもある。研究によれば、この退屈状態にある人々は、募金や献血に積極的に協力し、社交的にふるまう傾向があるということだ。つまり退屈が人を“いい人”にするのだ。
●退屈は幸せのエッセンス
バートランド・ラッセルは『幸福論』の中で退屈に耐える力を持つことは、幸福に不可欠なことであると説いている。
過度な興奮に慣れると、病的にそれを欲するようになる。香辛料を病的にほしがる人に似ており、ついには咽を詰まらせるほどの多量の胡椒でさえその味がわからなくなると警告を発しているのだ。
退屈に直面してそれをストレスと感じるのか、幸せに繋がる格好のチャンスととらえるのかでずいぶんと人生が変わってきそうである。生活の中でもし退屈を感じる時があったなら、退屈しのぎをする前に少し退屈の意味を考えてみてもよいかもしれない。
参考:「Daily Mail」、「BBC」、「Independent」ほか
文=仲田しんじ
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