職場での“カミングアウト”で生産性が向上するってホント?

サイコロジー

 身近な人物がどんな人間なのか、わかったつもりでいても何かの機会に意外な側面を知らされたりもするだろう。往々にして人はわからないものなのだが、周囲に自分の“秘密”を打ち明けるとどんな結果を招くのだろうか。

■職場で“秘密”を公表すると生産性が向上する

 人は見た目だけではわからない。長い付き合いのある友人や知人、同僚であってもその人物について知っていることはごく一部と考えたほうがよさそうだ。

 米・ライス大学、テキサスA&M大学などをはじめとする合同研究チームが2019年1月に「Journal of Business and Psychology」で発表した研究では、これまでの65本もの研究論文をメタ分析して、LGBTや精神疾患、病気、身体的欠損などの一般的にはスティグマ(社会的汚名)だと考えられている性質を職場で公表した場合、どんな結果を招くのかを探っている。

 データを分析した結果、性的指向や持病など、一見してわからないタイプの“秘密”の公表は、職場での充実感と生産性の向上に繋がっていることが浮き彫りになったのだ。研究チームのエデン・キング准教授は、自己開示(self-disclosure)によって、周囲の人々との結びつきが深まり、必要のない懸念から解放されるというポジティブな体験を享受できると説明している。

 外見に表れないスティグマを公表した勤労者は、仕事にまつわる不安と職務上の役割のあいまいさ(role ambiguity)が減少し、仕事の満足度とコミットメントが向上しているのである。また勤務時間外の生活においても、心理的ストレスが減り生活の満足度が高まっているという。性的マイノリティや発達障害を抱える人々はもっと“オープン”になってよいということになる。

 しかし注意しなければならないのは、外見に表れる“スティグマ”はまた別のメカニズムが働くという点である。つまり、身体的特徴やファッションの傾向(女装や男装、メイク表現など)など、外見に表れる性質を備えた者が“秘密”を公表したとしても周囲にあまり影響を及ぼさないということだ。確かにそうした人物からあえて打ち明けられても驚くことはないだろう。こうしたあえてするまでもないように思われる自己開示は、場合によっては支持を集める目的や、自尊心を高めるための行為だと受け止められ、ネガティブな反応を招くこともあり得るという。

 実際に口にするかどうかはともかくとして、仕事場では我々は秘密や弱さをさらけ出した“ありのままの自分”であって良いということなのかもしれない。

■自分の“真価”は自分が一番分かっている

 職場では“ありのままの自分”でいて良いということになるのだが、自分で自分のことがどれほどわかっているのだろうか。最近の研究では意外や、自分の“実像”はかなり正確に把握できていることが報告されている。

 自分で自分を値踏みする“自己査定”は往々にして“下駄を履かせる”や、“サバを読む”といった誇張が加えられるものだといわれている。例えば就職面接などの“自己アピール”では、自分がいかに優れているのかをとつとつと訴えることになる。

 とはいっても就職面接などはいわば“ゲーム”の側面もあり、ネガティブな態度で挑まないことが“礼儀”であるとも言えるだろう。では我々はどの程度、自分の“真価”を把握しているのだろうか。

 カナダ・ヨーク大学、オーストラリアカトリック大学、トロント大学による合同研究チームは2018年11月に「Psychological Science」で発表した研究では、過去に行なわれた160もの“自己査定”アンケートを分析して、客観的な人物評価と、当人による自己評価の食い違いがどれほどのものなのかを探っている。

 分析の結果、意外にも客観的人物評価と、自己評価にはそれほどの違いはないことが示されることになった。我々は“ゲーム”として自分を大きく見せることはあるにせよ、実は自分の“真価”は自分でよく分かっているのである。

 アメリカの心理学者、ゴードン・オールポート(1897-1967)の研究に基づき規定されたビッグファイブはそれぞれ「神経症的傾向」、「外向性」、「経験への開放性」、「協調性」、「誠実性」の5つだが、このビッグ5においても客観的評価と自己評価はおおむね一致していることもまた明らかになった。唯一、「経験への開放性」については自己評価が高い傾向が見られたが、研究チームのブライアン・コネリー准教授によれば、この「経験への開放性」が自己評価の正確性に与える影響はきわめて小さいということだ。

 ではなぜ我々は意外にも自分の“実像”を正確に把握できているのだろうか。それは、社会的な成功において、自分が他者からどう見られているのかを正確に見定めることが不可欠であるからだと研究チームは説明している。ソーシャルな社会生活を送っている限り、我々は自分に何が期待され、どう見られているのかを常にチェックしているのである。

 また今回の研究で判明した副産物となる発見は、まったくの“赤の他人”の人物評価は実に批判的であるということだ。我々はまったく接点を持たない赤の他人に対しては実に手厳しい評価を下しているのである。いずれにしても我々は自覚するしないに関わらず基本的に“人の目を気にする”実にソーシャルな存在であることがよくわかる話題だろう。

■海外生活体験が自分の“実像”をクリアにする

 自分のことは自分が一番分かっているといっても、もっと深いレベルで自分の可能性や隠れた一面に気づける機会はないものだろうか。最近の研究では、自分をよりクリアに理解する良い機会になるのが海外生活体験であることを報告している。

 米・ライス大学、ノースカロライナ大学をはじめとする合同研究チームが2018年3月に「Organizational Behavior and Human Decision Processes」で発表した研究では、1874人を対象に調査を行ない海外生活体験と「自己概念の明瞭性(self-concept clarity)」の関係を探っている。

 収集したデータを分析した結果、研究チームは異なる文化に触れる体験は自己概念を明確にし、これまでの信念形態のへの対抗軸に気づくことを強いると結論づけている。

 異国の中でこれまでの価値観を揺るがす体験を重ねることで、自分の価値観、好み、個性をよりクリアに理解するようになり、こうして培った自分に関する知識を抱えたまま帰国することになる。

 海内生活体験で獲得したこの高い「自己概念の明瞭性」は、その後のキャリア形成やリーダーシップに好ましい影響を与えることもまた指摘されている。

 また研究チームによれば、高い「自己概念の明瞭性」が得られる海外体験は、訪れた国の多さよりも暮らした期間の長さのほうが重要であるということだ。

 慣れない環境の中での生活では困難に直面することもあるだろうが、留学や海外生活体験はその後の人生に計り知れないメリットをもたらしてくれるようだ。

参考:「Rice University」、「University of Toronto Scarborough」、「Rice University」ほか

文=仲田しんじ

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