“職場うつ”の問題が深刻だ。職場うつの本人も大変だが、現場の生産性にも多大な悪影響を及ぼし、GDPの1%が職場うつによる生産性の低下で失われているという。
■“職場うつ”でGDPの1.2%が失われている
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル(LSE)の研究者が2016年9月に発表した研究では、ブラジル、カナダ、中国、日本、韓国、メキシコ、南アフリカ、アメリカの8各国、計8000人の勤労者を調査・分析している。ヨーロッパ以外の国々で労働環境に関してこれほど大規模な国際的調査が行なわれたのは初めてのことだ。
各国でビジネスの風土は異なるものの、職場うつの問題は共通してビジネスの現場に暗い影を落としていることがわかり、あらためて職場うつの問題の深刻さが指摘されている。職場うつによる経済的損失は8カ国でGDPの平均1.2%にも及び、金額にして27兆円という膨大な金額にのぼる。
勤労者が心身の不調で欠勤することをアブセンティズム(Absenteeism)と呼んでいるが、この一方、出勤しているのに心身の不調により生産性が低下してしまう状態のことをプレゼンティズム(Presenteeism)と呼び、近年ではこのプレゼンティズムのほうが組織の生産性を下げるものであることが指摘されている。つまり出勤はするものの大した仕事ができずに“休むに似たり”になっている勤務状態だ。
職場うつの人々は定期的に病院に行くため午後から出勤するケースも考えられ、これがプレゼンティズムに繋がるわけだが、日本では完全に欠勤するアブセンティズムが多いことがこの調査でわかっている。その年間コストは1人あたり約30万円にも及ぶ。この特有の現象は日本においては職場うつに罹っていること自体を隠している人が多いからだといわれている。つまり失職を怖れてうつを公表しない勤労者が多いのだ。
逆にアメリカとブラジルではプレゼンティズムによる損失コストが大きい。休まず出勤はするもののダラダラ働いている者が多いということだろう。
そしてまた日本の労働環境の特徴として、職場うつによる個人あたりの損失が大きいことも挙げられる。これはつまり、バリバリと精力的かつ長時間働く有能な人物がある日うつになるケースが多いということで、職場にとってもダメージが大きいのだ。いわゆる“燃え尽き症候群”が多いのである。
日本の会社組織には、“モーレツ員”にどんどん仕事をさせて収益をあげる一方で、突然の“燃え尽き”で多大なダメージを被るという、組織も社員も不幸になる傾向が他の国の組織よりもあることを今一度確認しておきたい。
■職場での無力感と行き詰まり感はどちらが先か
職場うつとまではいかなくとも、仕事に対してやり甲斐を感じられず、この先のキャリアに展望を抱けない状態のまま働き続けている人は決して少なくない。
IT技術とAI(人工知能)のめざましい進化と産業構造の変化で、職能とスキルの陳腐化がこれまでにない急ペースで進む時代になっている。刻々と変化するビジネスの現場と、ますます競争が激しさを増す労働市場にあって、ビジネスパーソンにはこれまで以上のキャリアプランニングと実行力が要求されている。
しかしその一方、現在の仕事を好きになれず行き詰まりを感じながらも、かといって転職に踏み切ることもできず、無力感を抱きながら仕事を続けているケースも多い。誰しも新人の頃は程度の差こそあれ、これから就く仕事に夢と希望を抱いて取り組んでいたはずだ。いったいどういう経緯で仕事と職場に希望を失ってしまうのだろうか。
スウェーデン・ストックホルム大学の研究チームが2017年6月に「Journal of Vocational Behavior」で発表した研究では、仕事の要求水準に対する無力感と、職場での行き詰まり感のどちらが先にくるものなのか、スウェーデン人の勤労者978人を4年越しで調査している。仕事の出来なさを痛感するのが先なのか、職場が嫌いになるのが先なのかを、「交差遅延効果モデル」の手法を使って調査・分析したのだ。
要求されている水準の仕事が出来ているかどうかという自己査定(充実感or無力感の度合い)と、職場での行き詰まり感をどれほど感じているかという度合いを、同一人物に対して2012年と4年後の2016年にそれぞれ調査したのである。
分析の結果、無力感と行き詰まり感にはお互いに相互作用を及ぼす関連があることをがわかったのだが、先に無力感を感じてから職場に望みを持てなくなるというパターンがより多いことが判明した。仕事の現場で自分の能力が要求されている水準に及ばないと痛感することで、今の職場でのキャリア形成に行き詰まりを感じることが多いということになる。
すでに余人が及ばぬ能力とスキルを有している人物にはもちろん何も言うことはないが、自分の能力やスペックに見合わない高い水準が要求される組織に加わることは、長期的にはやはり“身の丈にあわない”ということになる。最初は自分に見合った無難なレベルから徐々にステップアップしていくことの重要性が再確認される話題だ。
■競争の激しい職場は“二極化”する
無力感や行き詰まり感に苛まれながらも職場に留まっていられるのは、ある意味では幸運なことなのかもしれない。生き馬の目を抜く苛烈な競争が行なわれている組織も少なくないからだ。そしてこうした競争の激しい職場は、お互いを高めあう理想的な環境にもなれば、いつ出し抜かれるかわからないという猜疑心に溢れた“ブラック”な組織にもなり得ることがサイエンスの面からも指摘されている。
ビジネス誌「ハーバードビジネスレビュー」に2017年3月に掲載された記事は、競争の激しい職場が社員のメンタルと行動に及ぼす影響を考察している。
端的に言えば、その激しい競争がエキサイティングで発奮させてくれるものであれば、多くの社員は問題解決に創造性を持って取り組み、モラルの低い行動はしなくなる。逆に激しい競争が不安をもたらすものである場合は、鬱屈した雰囲気を職場に招き、サボりや背信が横行して組織の堕落に繋がるということだ。
研究では、職種や雇用条件などさまざまな職場環境下にある204人の勤労者に、現在勤務している会社のボーナスや業績評価、昇進などの人事管理がどのように社員の気分に影響を及ぼしているのかということと、ほかの社員に埋没してしまわないために何を行なえばよいのかについての話を聞いている。
その結果はやはり社員を発奮させる環境を整えている組織では社員はよりクリエイティブな仕事ぶりを見せており、不安を感じさせる環境の職場では手抜きやサボりが頻出していることがわかったのだ。
業績が良い社員を褒めることのほうに重きを置いた組織では多くの社員を発奮させることができるが、業績が悪い社員を叱責するほうにウェイトを置く組織ではやはり社員を不安な気持ちにさせ“ブラック”な職場環境に繋がるものにもなるだろう。そして競争の激しい職場であるほどこのどちらかが顕著にあらわれ“二極化”するということだ。労働力不足が叫ばれる中、各人のパフォーマンスが存分に発揮できる労働環境が求められている。
参考:「Progress in Mind」、「Science Direct」、「Harvard Business Review」ほか
文=仲田しんじ
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