睡眠の目的は疲労回復のためではなかった!? 眠りのイメージがガラリと変る話題3選

サイエンス

 なぜ人は人生の3分の1を眠って過ごさなくてはならないのか。疲労回復のためだけであるなら、7、8時間も睡眠をとるのは長すぎるような気がしてこないだろうか。それもそのはず、この長い睡眠時間は身体のためというよりも、脳のためであったのだ。

■睡眠は脳のための欠かせないプロセス

 ドイツ、アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルクの精神科医、クリストフ・ニッセン氏が率いるチームが2015年に発表した研究によれば、睡眠は脳の接続を“リセット”する効果があり、記憶と学習に関して重要な役割を担っているということだ。

 起床後の活動で形成され、どんどん複雑になっていく脳神経の電気的接続が、睡眠によっていったん“リセット”されるということである。これによって一時的な記憶がふるいにかけられて整理され、起床後に再び新たな体験を効果的に記憶、学習できるようになる。この活動を行なうために、身体よりもむしろ脳が睡眠を必要としているのだ。

 逆に言えば徹夜や睡眠不足で脳が“リセット”されないと、脳がオーバーワーク状態になって新しい記憶が定着しにくくなるという。いわばパソコン用語でいう“一時メモリ(キャッシュメモリ)”のメカニズムに似ていて、今現在の関心を占めている目下の出来事の情報を、定期的に整理整頓してクリアにしないことにはすぐに一杯になってしまい次の局面に対応できなくなってしまうのである。

 実験では19歳から25歳までの11人の男性と9人の女性の行動と脳波を観測した。実験参加者は2グループに別けられて、一方は前夜にじゅうぶんな睡眠をとってもらい、もう一方は徹夜してもらって、当日の行動の様子を観察し適時脳波を測定したのだ。

 やはり“徹夜組”は身体の動きからして鈍く、実際に脳が筋肉を動かすために発信するパルス信号がきわめて弱々しいものであったということだ。また、脳に学習と記憶を促す刺激を与えたところ、徹夜組の脳は新しく見聞した物事をあまりうまく記憶できなかったという。さらに徹夜組はぐっすり眠ったグループに比べて興奮しやすい状態にあったということだ。

「この研究が示しているのは、睡眠は健康な脳機能のために欠くことのできない積極的な脳の活動であり、決して無駄な時間ではないということです」(クリストフ・ニッセン氏)

 今回の研究は、2003年にウィスコンシン大学マディソン校で行なわれた研究によって提唱された「Synaptic Homeostasis Hypothesis、SHY(睡眠と記憶についての仮説)」を補強するものにもなっている。このSHYとは、睡眠中に脳はその日1日に受け取った情報を整理分類し、しかるべき場所へ“保管”しているという仮説で、この活動なくしては翌日に新しい体験をうまく記憶できなくなるという。またこの睡眠時の脳の活動には考えられている以上のエネルギーが必要とされているため、身体が動かせる状態では難しく、むしろこの脳の活動のために人は意識を失って睡眠をとっているということだ。睡眠は身体の疲労回復が第一の目的ではなく、脳の情報処理のために必要な時間だったのだ。つまり、身体を脳に明け渡している時間であるということだろうか。

 我々の睡眠に対する認識がガラリと変わってしまうような話題だが、この研究は興味深いことにうつなどの精神疾患の治療法を探るものにもなるということだ。この脳のメカニズムを“逆手に取り”、例えばうつ患者をしばらく睡眠不足の状態にすることで、日々の不安を徐々に払拭させることができるかもしれないというのである。確かに徹夜明けで睡眠不足だと、目先のことしか考えられなくなっているような感もあり、余計な心配をすることすら面倒になるかもしれない。ともあれ今後は、睡眠は脳のためにとるものだという考えが主流になりそうである。

■浅い眠りであれば脳は言葉を聞き分けている

 睡眠中というのは、いわば脳に身体がハイジャックされている状態だと言えるのかもしれないが、睡眠中の我々は完全に外界と“隔絶”されてしまっているのだろうか。実は眠っている間でも、脳は聴こえる言葉を判別しているという。

 パリ高等師範学校の神経科学者、トーマス・アンドリオン氏らの研究によれば浅い眠りであれば脳は外界からの情報を認識し処理できているということだ。しかしながら夢を見るような眠りや熟睡状態ではやはり外界の物事を認識することはできない。

「今回の研究の目的は睡眠の豊かさを再確認することです。すべての眠りは同じものではないということを強く訴えたいですね。浅い眠り、夢を見る眠り、熟睡はそれぞれきわめて異なるものなのです」(トーマス・アンドリオン氏)

 実験ではまず、実験参加者に一群の単語を聞かせて2つのカテゴリーに分けてもらうことを繰り返した。例えば「動物か物体か?」という命題のもとで、ネコ=動物、帽子=物体など、聞いた言葉を即座に分類してもらったのだ。さらに両手にボタンを握ってもらい、動物なら右、物体なら左、というようにどちらかのボタンを押して聞いた言葉を分類させ、これをいろんな言葉で何度も繰り返したのだ。

 実験参加者はEGGと呼ばれる帽子型の脳波測定器を装着した状態でこの一連の作業を行い、随時脳波もモニターされた。ちなみに脳のどの部分が活性化しているのかを測定することで、左右のどちらのボタンを押しているのかがわかる。

 聞いた言葉を分類するこの作業は暗い部屋で行なわれたこともあり、続けていくうちに実験参加者の多くは眠気に襲われ、実際に浅い眠りに落ちていく者もいた。それはこの実験が意図するものであったのだが、浅い眠りに落ちてしまった参加者はそれでもまだ発せられた言葉に反応しており、聞いた言葉をどちらかに分類し、実際に手は動かないものの左右のボタンを押す動作をあらわす脳の活動が見られたのだ。つまり浅い眠りであれば脳は言葉を聞き分けられるということだ。

 深い眠りに入ってしまうとボタンを押す動作をあらわす脳の活動はみられなくなることから、この状態ではもはや言葉を聞いていないと考えられる。そして浅い眠りで聞いた言葉は目覚めてからは覚えていないという点も興味深い。

 このような脳のメカニズムがわかると浮上してくるのは、睡眠学習が可能かどうかという点でははないだろうか。浅い眠りの状態でも脳は聞こえてくる言葉に反応しているとすれば、確かに睡眠学習も可能のように思えてくる。しかし、浅い眠りで聞いた言葉は目が覚めた後は覚えていないことから、普通の学習とは方法も効果もまったく違うものになりそうだ。

■実験で証明されている“睡眠学習”

 実はすでに睡眠学習の可能性に関する研究は積極的に行なわれていて、「Science Alert」の記事では睡眠状態での学習や記憶の定着などが証明された3つの実験を紹介している。広い意味での“睡眠学習”はすでに一部で可能になっていたのだ。ではどんなことが睡眠中に学習できるのか。

●外国語の学習
 2014年にスイスの研究者から発表された研究によれば、ドイツ人がオランダ語を学習するのに“睡眠学習”が効果的であったということだ。

 実験では何も知らされずに眠っているドイツ人グループがいる部屋に、オランダ語の音声教材の音声を流した。このドイツ人たちは、最近オランダ語を学びはじめた初級学習者なのだが、その後、同じレベルの学習者と共に語学のテストを受けたところ、眠っている間に音声教材を聞かされたグループのほうが成績が良い傾向が浮き彫りになったのだ。

 面白いのはこの音声教材を起きている間の隙間時間(歩行中など)に聞くよりも、睡眠時に聞いたほうが学習効果が高いということが判明した点だ。通常の語学学習はもちろん必要だが、この“睡眠学習”は学習を効果的にサポートするものになるのかもしれない。

●楽器演奏
 2012年にノースウェスタン大学の研究チームが発表した論文によれば、演奏を練習中の楽曲を睡眠中に流すことで、取得が効率的になることを実験を交えて証明している。

 実験参加者は人気の音楽ゲーム『Guitar Hero』から選んだ曲を演奏する練習をした後、2グループに分けられて昼寝をしたのだが、一方は眠っている間に部屋にその曲を流され、もう一方は静寂の中で眠った。起床後に再び演奏をしてみると、昼寝中に曲を聞かされたグループのほうが巧みに演奏することができたという。

●位置の記憶
  2013年に発表された研究では、実験参加者である60名の健康な若者が、パソコンのスクリーン上で物を取って再び置くという簡単な作業をした。物を配置できる場所は72カ所あり、物を取りあげる時と、置く時にそれぞれ電子音が響くように設定されている。

 その作業の後、前出の実験と同じように2グループに分けて短い睡眠をとったのだが、一方のグループは眠っている間に部屋に作業中の電信音が流され、もう一方は無音の部屋でうたた寝をした。

 90分の短い眠りの後、再びパソコンを前にして、眠る前に行なった作業の72カ所の位置を思い出してもらったのだが、眠っている間に電子音を聞かされたグループのほうがより多くの位置を思い出すことができたのだ。眠っている間に電子音を聞かされることで、脳はこの音に関連する情報が重要なものであると認識し、長期記憶の“書庫”にしまっておくのではないかと考えられるという。

 この3つの実験のカギを握っているのが徐波睡眠(slow-wave sleep、SWS)と呼ばれる睡眠の状態であるという。いずれの実験でも、音声教材や音楽、電子音を聞かされたほうのグループは徐波睡眠の状態が長かったことが脳波測定でわかっている。ということは、徐波睡眠の状態にあるときに“睡眠学習”が成立する可能性が高いということになる。この分野の研究が今後どのような展開を見せるのか、とても興味深い話題ではないだろか。

参考:「The Guardian」、「Huffington Post」、「Science Alert」ほか

文=仲田しんじ

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