目の前の人物の話し方からウソを見抜けるのか?

サイコロジー

 ウソをついているかどうかはその人物が話している姿を注意深く観察すればわかるはずだと考える人は多いが、最近の研究では目の前で話している人物がウソをついているかどうかを見分けるのは考えられている以上に難しいことが報告されている。

■話し方からウソを見抜けるのか?

 目の前の人物がもしウソをついている場合、何か不自然で違和感を覚える動作や話し方をするはずで、我々はその変化を敏感に察知できるといわれている。

 それは一面の真実なのだが、しかしそうであるからこそ、ウソかどうかを見極めるのは難しいという。我々はウソの徴候を知っているからこそ、そうした動作を抑制できるというのだ。

 英・エディンバラ大学の研究チームが2018年9月に認知科学系学術ジャーナル「Journal of Cognition」で発表した研究では、24人の実験参加者に1対1で「宝探しゲーム」をプレイしてもらう実験を行なっている。

「宝探しゲーム」は先攻後攻(話者とハンター)で交互に行なうビデオゲームなのだが、両者の画面に表示された2つの画像のどちらかに“宝”が隠されている。話者のほうには正解が知らされていて、ハンターに教えることができるのだが、この際にはウソをついてもよいことになっている。ハンターが正解を選んだ場合“宝”はハンターのものになり、不正解だった場合は“宝”は話者のものになる。つまり話者のウソに気づくことができればゲームは有利になるのだ。

 ウソの徴候にはたとえば話を途中で止めたり、話すスピードが変わったり、目や眉毛が微妙に動いたりというものがあるが、こうしたウソの徴候は19あるとされている。研究チームが宝探しゲーム中に話者から発せられた1100もの声を分析したところ、声を聞かされる側(ハンター)はこうしたウソの徴候を敏感に察していることが示された。

 とすれば我々はかなり正確にウソを見抜けることになるのだが、話は単純ではなく、判断を下す際にはこの敏感な感受性が役にたっていないという。こうしたウソの徴候は、真実を話している時にも見られるものでもあるのだ。

 研究チームのマーチン・コーリー博士によれば、我々はウソの徴候に本能的に気がつける一方で、そうであるからこそ自分がウソを話す時には自然にこれらの徴候を抑制するメカニズムが備わっているということだ。したがって相手のウソの徴候も抑制されているのかもしれず、結局のところ判断には迷うのである。相手の話がウソかどうかを見極めるのは、コイントスで決めるのと何ら変わりはないということになる。

 話の信ぴょう性を判断するのに相手の話し方から判断するのは諦めたほうがよいのかもしれない。あくまでもその話の内容に誤りや矛盾、あるいは“ひっかけ”がないかどうかを検証することに専念してみてもよさそうだ。

■外国語ではウソが言いやすい?

 もしもウソをつきたいと思えば、話し方にも気を配り話の内容も入念に組み立てなければならないことになる。目的こそ違えど(!?)、営業マンのセールストークやプレゼンと同じような準備が必要だ。

 しかし予期していないところからより気軽にウソをつける手段が見つかっている。それは外国語でウソ話をすることだ。

 ドイツ・ヴュルツブルク大学の研究チームが2018年5月に「Experimental Psychology」で発表した研究では、母国語と外国語においてウソと本心の言及が認知機能にどのような負荷をかけ、また感情にどのような影響を及ぼしているのかを探っている。

 50人の実験参加者はさまざまな質問に答える課題に取り組んだ。一連の質問には感情に訴えるものから、感情を動かさずに答えられる中立的な質問があり、母国語と外国語の2パターンが用意された。

 中立的な質問とは例えば「ベルリンはドイツにある」というような内容で、感情的な質問とは「これまで違法薬物を使ったことがあるか?」や「ヌードモデルと一緒に仕事をしたいか?」などの感情を動かされる質問だ。

 収集した回答データを分析した結果、いくつかの共通する傾向が明らかになった。それは以下の通りである。

●感情的な質問に答えるのには時間がかかった。

●(ある意味で当然だが)外国語で答えるのには時間がかかった。

●偽りの回答(ウソ)は本心の回答よりも時間がかかった。

●ウソと本心の回答時間のギャップは外国語では短縮された。

 外国語においてウソと本心の回答時間の差が縮まったのは、ウソの回答が早まったのではなく、本心の回答が遅くなったことが原因であるという。ということは母国語に比べて外国語ではウソを言いやすくなっているということになる。

 また感情乖離仮説(emotional distance hypothesis)では外国語は母国語よりも言葉に感情がこもっていないことが示されていて、そのぶんウソをつくことの負担が軽くなるとも説明できるという。

 もちろんどんな言語であれウソをついてはいけないが、グローバル化がますます進む今日の世の中にあって、外国語ではウソを言いやすいことを知っておいて損はないだろう。

■ウソ発見器は存在しない?

 ウソをついている時には当人の身体に心拍数や血圧、発汗などの生理的変化があらわれ、それを検知することでウソを見抜けるはずだという設計思想のもとに開発されたのがウソ発見器(lie detector、polygraph)である。しかしこの世にはウソ発見器は存在しないと主張しているのが歴史家で作家のケン・アルダー氏だ。

 2007年に『The Lie Detectors: The History of an American Obsession(ウソ発見器:アメリカの強迫観念の歴史)』を著したアルダー氏は今もなおウソ発見器が歴史的な虚構であったことを主張し続けている。

 およそ100年前に最初のウソ発見器が登場したが、警察をはじめとする関係各界の大きな期待が集まり、「アメリカの機械の良心」とも呼ばれてきた。ウソをついているのかいないのか、客観的に判断できる手段を持つことはアメリカ社会の悲願なのである。

 アメリカでは一時期、ウソ発見器は犯罪捜査のみならず、たとえば大企業や政府機関では従業員や職員の“忠誠心”を見極めるために使われたり、ハリウッドの映画制作会社と広告主は観客の反応を知るために活用し、あるいは夫婦間では浮気の疑惑判定にも使われるほどに一時期は普及した。

 アメリカではウソ発見器が根強く信じられてきたが、科学界からは1920年代からその実効性は疑われており、1923年にはウソ発見器の結果が法廷での証拠にならないことが最高裁で下された。また1965年の学術論文のレビュー研究では「人であれ、機械であれ、ウソ発見器はこの世にはない」と結論づけられている。

 またハダースフィールド大学の犯罪科学心理学者、ジョン・シノット氏らが2005年に発表した研究では、個人がどんなにウソを発見しようとしても、せいぜい偶然よりも僅かに良いくらの確率しかないと言及している。ウソ発見器は生理現象の変化を正確に検知できるのは確かだが、それを人間の心理に関連づけようという意図はたいてい失敗に終わるということだ。

 そしてアルダー氏はこれまでのウソ発見器の“成功例”は、オペレーターが尋問の能力に優れていたことが主な要因で、ウソ発見器そのものが優れていたわではないことを指摘している。そしてウソ発見器は心理学的なプラセボ効果(偽薬効果)のようなものであり、存在するという事実だけで人にウソをつくことの心理的ハードルを高めることを意図したものであると説明し、ウソ発見器の歴史はフィクションであったと断言しているのだ。生理現象の変化だけでウソかどうかを見極めるのではなく、やはりその発言内容にフォーカスすべきなのだろう。

参考:「Journal of Cognition」、「APA PsycNet」、「Popular Science」ほか

文=仲田しんじ

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