長く続いたデフレ基調の経済状況の中、なかなか賃金が上がらない状況が続いているともいえるが、最近の研究では手っ取り早く昇給を果たす手法が突き止められている。それは父親になることであった。
■父親になることで賃金が上がる!?
カナダ・ブリティッシュコロンビア大学の研究チームが2018年4月に学術ジャーナル「Work, Employment and Society」で発表した研究では、白人男性ビジネスパーソンの賃金が、父親になることで明確に上昇していることを報告している。仕事のパフォーマンスが向上したり残業時間が増えたりしているわけではなく、単純に父親になるだけで賃金が上昇しているということだ。
研究チームはカナダの労働白書である「Workplace and Employee Survey (WES) 」の1999年から2005年のデータを活用し、5020ヵ所の職場に勤務する24歳から44歳の白人男性勤労者1万8730人の勤務実態を分析した。
データを分析した結果、専門職あるいはマネジメント業務に携わる勤労者は父親になることで平均で6.9%の賃金上昇を果たしていることが明らかになった。その他の職種では平均3.6%の上昇であった。
学歴別でみるとこの差は歴然としており、大卒の勤労者は父親になることで平均5.3%の賃金上昇を果たしているのに対し、高卒の勤労者は1.8%の上昇に留まっている。
興味深いのはこの賃金の上昇は業務のクオリティやパフォーマンスに関係なく、単純に父親になったというだけの理由であることも明らかになった。したがってもし人事部が詳しく父親になった従業員の勤務を査定し直した場合、賃金の上昇はごく僅かになるかあるいは減給する可能性もあり得るという。
「これが示しているのは、父親は実際にはハードワークを行なっていないのに、周囲はそうは見ていないということです。これは父親であることに対する偏見です。誰もが子どもを持てるわけでななく、またはじめから望まない人もいます。これは根深いアンフェアーなのです」と研究を主導したシルビア・フラー准教授は語る。
子どもを授かり父親になった男性には“一家の大黒柱”というイメージも与えられそうだが、こうしたステレオタイプが今も社会に根強く定着しており、実際に賃金にも影響を及ぼしていることになる。“同一労働同一賃金”の考え方からも、父親という“特権”に見直しが求められているのかもしれない。
■昇給の嬉しさは一時的
理由がどうであれ本人にとって昇給が嬉しくないはずはないだろう。だが最近の研究では、賃金上昇は仕事の満足度(job satisfaction)の向上にそれほどの効果がないことが指摘されている。
スイス・バーゼル大学の研究チームが先日発表した研究では、ドイツ国民の社会経済調査である「German Socio Economic Panel」から3万3500件ものデータを分析して仕事の満足度と昇給の関係を探っている。
仕事の満足度の10段階評価ではほとんどの人は7と申告しているのだが、もちろん昇給によって仕事の満足度はさらに高くなる。特に同期の同僚よりも賃金が高くなることでさらに仕事の満足度が高くなるということだ。また定期昇給後にも仕事の満足度は高まっている。
しかしこの昇給による仕事の満足度の高まりはあくまでも一時的なものであることもまた判明した。昇給後の一時的な仕事の満足度の高まりはその後徐々に失われていき、4年以内に元に戻っていることが明らかになったのだ。
これは行動経済学で説明が可能で、賃金勤労者としてのキャリアが長くなると、人々は収入を絶対的な金額で評価するのではなく、以前の収入と比較して評価するようになるからであるという。さらに、時間の経過とともに昇給した賃金に慣れてくることもその要因の1つだ。
興味深いことに賃金カット、つまり減給の場合にも同じメカニズムが働いているということだ。つまり減給された時はショックを受けて仕事の満足度は下がるが、時の経過と共に慣れてきて仕事の満足度も回復してくるのである。
研究チームは経営側が昇給をより効果的に実施するためには、僅かな額の賃上げを短いスパンで行なうことを推奨している。例えば1年に1回の昇給よりも、その半額を半年ごとに行なったほうがよいということだ。そのほうが仕事の満足度が下がりにくくなるということだ。
■時給1ドルアップで欠勤が32%減少
昇給はその直後は嬉しいものの、すぐに有難味がなくなってしまうものであることが指摘されているのだが、それはある意味でやはり恵まれた者の高望みということになるのかもしれない。いわゆる“最低賃金”で働く低賃金労働者にとって、時給1ドル(約110円)の賃上げが心身の健康をきわめて改善するものであることが最近の研究で報告されている。
米・オールドドミニオン大学とカリフォルニア大学デイビス校の合同研究チームが2018年2月に学術ジャーナル「The B.E. Journal of Economic Analysis & Polic」で発表した研究では、アメリカ国内の5000世帯、25歳から64歳の勤労者19000人を対象とした家計実態調査「Panel Study of Income Dynamics」の1997年から2003年のデータを分析して、賃金と生活の質の関係を探っている。この研究の背景には、広く公の議論になっている“最低賃金”の引き上げをめぐる問題がある。
データには世帯主および配偶者の雇用、賃金、欠勤、健康状態などか自己申告で回答されていたのだが、研究チームはこれらのデータを2種類の統計手法を用いて分析した。
1つめの統計手法では、現在の最低賃金が1ドル賃上げされると病気や体調不良による欠勤が19%減少することが算出された。2つめの統計手法では最低賃金が1ドル上がることでなんと32%も欠勤が減ることが導き出されたのだ。
また時給が1ドル上昇する毎に、健康状態が良好であると報告する勤労者が2.1%ずつ増えることも浮き彫りになった。しかしながら1ドルの賃上げと子どもや配偶者などの家族の他の者の病欠との間には有意な関係性はなく、また一時解雇(レイオフ)や総労働時間との間の関係性も見出せなかった。
各職場で当日になってからの欠勤による経済損失が問題になっていることから、今回の研究の結果は、現在の最低賃金を100円ほど引き上げたほうがよいという見解を後押しするものになった。最低賃金の仕事現場では時給1ドル、100円の差が仕事の満足度と健康維持に実に大きな意味を持っていることになりそうだ。
参考:「University of British Columbia」、「University of Basel」、「De Gruyter」ほか
文=仲田しんじ
コメント