組織運営であれ個人の人生であれ“変化”を決断しなければならないこともある。それが先手を打つ決断なのか、苦渋の決断であるのかでずいぶんとその後の展開が違ってきそうだ。これまで数々の成功体験を積んできた大組織ほど変化のための決断がなかなかできないことが、今まさに一部で社会問題として証明されている。それもそのはず、人間の心には変化を嫌いこれまでのやり方に身を任せる“現状維持バイアス”がきわめて強力に働いているのだ。
■変化を嫌う“現状維持バイアス”とは?
社会構造、産業構造に大きな変化の波が訪れている今日にあって、これまでの日本社会が体験してこなかった流動的な労働環境に多くのビジネスマンが置かれている。ビジネスモデルの“陳腐化”が加速度的に進んでしまう今日にあって、今の仕事のやり方が数年後にも通用しているのかどうか、多くが不安を抱きながら日々の仕事に取り組んでいるのではないだろうか。
しかしそれでも我々の多くは現状維持に甘んじる性向を持っているという。その変化によって多少のメリットがあることがわかったとしても、多くの場合で現状のままでいようとする“現状維持バイアス(status quo bias)”の心理が働くのである。
この現状維持バイアスがどれほどのものなのか、きわめて極端な設定を想定した調査を米・デューク大学のフェリペ・ド・ブリガード氏が行なっている。その設定とは「成人になったある日、これまでの自分の人生がコンピュータ・シミュレーションの世界の出来事であったことを知らされた。今後はシミュレーションの外でも生きられる選択を与えられたのだが、アナタはどちらを選ぶか?」という究極の選択である。
まるで映画『マトリックス』中の赤いカプセルと青いカプセルのどちらかを選ぶシーンのように、慎重にならざるを得ない究極の二択だが、調査の結果はなんと6割近い59%が現状のままコンピュータ・シミュレーションの中で生活することを選んだのだ。自分の生活が誰かの手によるフィクションの世界であったとしても、大半にとってはこれまで親しんできた現状のほうが優先されるのである。もし、このような“一大決断”ではなく、もっと些細な選択であったならばきっと“現状維持派”はさらに増えることになるだろう。
現状維持バイアスを補完するものとして、行動経済学で用いられる「累積プロスぺクト理論(cumulative prospect theory)」があり、心理学者のエイモス・トベルスキー氏とダニエル・カーネマン氏の研究によれば、失うモノの価値は実際の価値の2倍に感じられるという心の働きが、累積プロスぺクト理論として説明されている。したがって、失うものよりも2倍以上の利益が見込めなければ現状維持に留まる傾向があるのだ。
現状維持が文字通り現状のまま続けば、それでも特に問題はないのだが、今の時代は現在勤務している企業が破綻したり、保有している資産が暴落したりと慌しく、先手を打って変化を決断しなければならないことも多い。自ら動いていくことは何かと大変だが、人は惰性に流れやすい生き物であることをじゅうぶんに自覚したうえで、適切な判断を下していきたいものだ。
■“変化”を選んだほうが幸せになっている!?
人は現状維持をしがちになるのはわかったが、もちろん現状維持を選択することがそのまま悪い判断ということではない。現状維持バイアスという心のメカニズムと、具体的な判断の妥当性とはまったく関係のないことを確認しておきたい。
しかしながら“変化”と“現状維持”の選択なら“変化”を選んだほうが幸せになれる可能性が高いという研究が最近発表されている。アカデミズム的には非公式の研究ではあるが、『ヤバい経済学――悪ガキ教授が世の裏側を探検する』や『超ヤバい経済学』(共に東洋経済新報社)の著者であるスティーヴン・レヴィット氏がウェブサイト上で情報を収集して分析し、この興味深い結論を導き出したのだ。
現在は閉鎖されている「ヤバい経済学」を特集したサイト(FreakonomicsExperiments.com)で有志を募り、人生上の決断を“コイントス”で行なってみる実験が行なわれた。
普段飲んでいるコーラの銘柄やスポーツジムを変えるというような些細な選択から、転職や結婚、離婚などのシビアな人生の岐路まで30の質問がサイト上に用意され、参加者はそれぞれ現在の懸案事項をそこからピックアップし、コイントス(Web上のプログラム)で身の振りを決めてもらうというかなり大胆な実験が参加者の同意のもとで行なわれたのである(もちろんコイントスの結果に従わずに実験を中止した者もいた)。コインの表が出ると“変化”、裏が出れば“現状維持”を選ぶことになる。そして、コイントスでその決断をした2ヵ月後と6ヵ月後の状況を報告してもらったのだ。
サイト上では計2万2000回コインが振られ、2ヵ月後に1万3000件の回答があり、6ヵ月後に8000件の回答があったということだ。些細な決断では67%がコイントスに従い、人生を左右する重大な決断では55%がコイントスに従ったという。
分析の結果、些細な決断であれ重大な決断であれ、どちらについても表が出て“変化”を選んだ者はその後、その決断に大いに満足している傾向が見られたということだ。ということは、コイントスをしなくても“変化”のほうを選択することで、幸せを得られる可能性が高いということになるのだ。
ひょっとすると、何らかの問題が意識されたはじめた時点で、実は変化が求められている状態にあるということなのかもしれない。もちろん成功を約束するものではなく、あくまでも自己責任になるが、迷ったら“変化”を選んでみてもよいということになる。無回答や実験を中止した者も多く科学的な精度は高くない大まかな調査ではあるが、興味深い参考意見にはなりそうだ。
■禁煙を成功させる“100%ルール”とは?
人生の上で“変化”を起すことを選択したとしても、ある種の変化には努力や苦痛が伴うものもある。例えば禁煙や食事制限などだ。
しかしそいういった決断を実行できないのは「自分の人生に100%、全責任を持っていないことのあらわれである」と手厳しく指摘するのは、『絶対に成功を呼ぶ25の法則 THE SUCCESS PRINCIPLES』(小学館)などの著作を持つジャック・キャンフィールド氏だ。
とはいっても決して精神論的な努力を強いているのではなく、発想の転換が必要であることを提唱しているようだ。例えば、禁煙をすることを決断したとして、ある種の人々は1日2箱吸っていたのを向こう3ヵ月間1日1箱に抑え、それが続くようならさらに次に1日10本に制限してみるといったように、段階的に禁煙に向けた取り組みを行なおうとする。
しかしこのような徐々に減らしていくというやり方は労苦と苦痛を伴うばかりでなく、まったくの誤りであるという。1日40本吸っていたタバコを1日1本に抑えるまでには凄まじい努力と意志力が必要とされる。途中で堪えかねてギブアップしてしまったとしても不思議ではない。
だが禁煙のための“正解”は実にシンプルで、禁煙を決断したその瞬間に自分の生活からタバコの存在を完全に抹消することである。部屋にまだ残っているタバコをすぐに捨てて、タバコが存在しない世界に身を置けばよいのだ。つまりタバコのことをいっさい考えなくてよくなる(存在していないのだがら考えようがない)状態にすることだ。これをキャンフィールド氏は“100%ルール”と呼んでいる。つまり自分が望んでいる状態に徐々にではなく、すぐさま100%移行するということである。
「99%の努力はクソだ。100%は心地良い(99 per cent is a b*tch.100 per cent is a breeze)」とキャンフィールド氏は著作の中で述べている。もし何らかの行動を習慣づけようを決断した場合でも、それをすることが空気を吸うのと同じくらい当たり前のことで、必要欠くべからざるものであると心の底から“100%”確信できれば、一切の努力せずに続けられるのである。もちろん時間的物理的に無理があることはできなくて当然だが、何か新しいことをはじめようするときには、この“100%ルール”もまた貴重なアドバイスになるのではないだろうか。
参考:「Psychology Today」、「The Cut」、「Sunday Moring Herald」ほか
文=仲田しんじ
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