無神論者も実は“神”を意識していた

サイコロジー

 日本を含む先進各国で人々の権利として保証されているのが「信教の自由」だ。つまりどの宗教を信じてもそれは自由であるし、あるいは神の存在を信じない自由もあるということだが――。

■“非宗教的ヒューマニスト”の国会議員

 ある国会議員が“無神論者”であることを公に標榜して話題になっているようだ。

「今の政治には宗教の要素が入り込み過ぎています」とインタビューで語るのは、カリフォルニア州の下院議員(民主党)のジャード・ハフマン氏だ。国会議員の所定のプロフィール欄には「宗教」を記入する箇所があるのだが、ハフマン氏は空欄にするか「無し(non)」と記している。

 こうしたことから、以前からハフマン氏はメディアから宗教的立場についての説明を求められていたのだがこれまでは明確な言明を避けてきた経緯がある。しかし最近になって「Washington Post」紙などに対して自身の宗教的立場について解説している。ハフマン氏は自身を“非宗教的ヒューマニスト”と定義しているという。

 ある専門家によれば、今回の態度表明でハフマン氏は同時代の国会議員の中では2人目の宗教をベースにしない倫理観を持つ政治家になったということだ。

「私は宗教に敵対しているわけではなく、他の人の宗教的見解に予断を持ちません。私が(今まで宗教的立場を表明することに)躊躇していた唯一の理由は、私は霊的現象が存在する可能性を完全に否定しているわけではないからです」(ジャレッド・ハフマン議員)

 無心論者という言葉のニュアンスにはサイエンス至上主義という意味合いもあるのだが、ハフマン氏の“非宗教的ヒューマニズム”は心霊現象や超常現象などが存在する可能性は排除していないということのようだ。世界が“宗教戦争”に陥らないためにも、確かにハフマン氏の立場は参考に値するのかもしれない。

■無神論者も“神”を意識していた

 特定の宗教に関わることはないものの、人智を超えた存在や現象について受け入れる心積もりがあるというハフマン議員だが、実際に無心論者であっても“神”的な存在に心中穏やかではなさそうであることが、最近の研究で指摘されている。

「神よ、私の両親を溺死させられるものならしてみよ」

「神よ、私をがんで死なせられるものならしてみよ」

 なんとも穏やかではない神への“難癖”だが、しかしそもそも神の存在が意識されていなければ、こうしたフレーズから特に強いインパクトを受けることもなさそうだが……。

 フィンランド・ヘルシンキ大学の研究チームが2013年に発表した研究では、さまざまな内容の短い文章が実験参加者にどのような生理的反応を引き起こしていいるのかを、皮膚の電気伝導度を測定して探る実験が行なわれている。

 実験参加者は半数が何らかの信仰を持っていて、残る半数は無心論者であった。参加者は36種類の短い文章を声に出して読み上げ、そしてその間の皮膚の電気伝導度が計測された。これはつまりストレスを感じて皮膚がどれくらい“汗ばんで”いるのかをチェックすることである。

 読み上げられた文章は3種類のパターンがあった。1つは“神”に関するもの、2つめは不快な気分にさせるもの、そして3つめは特に感情を揺るがすことのないニュートラルなものである。そして神についての言及がある文章の中には、前述の文章のようにある意味で神を冒涜するようなネガティブな文章も含まれていたのだ。

 神に災いを起させるようなこうした文章は当然ながら信仰を持つ人々には受け入れ難く、読み上げている最中に驚いたりうろたえたりする者も少なくなかったという。一方、無神論者の人々はこうした文章に混乱を見せることもなく平然と読み上げたのだがその実、皮膚は信者たちと同じくらい“汗ばんで”いたのである。

 これはシンプルに無神論者が他人の不幸を望まない優しい性格だからではないという。例えば“神”の要素が加わらない「私の両親が溺れることを望む」という文章に対しては、無心論者は“汗ばんで”いなかったのだ。つまり“神”の単語があることで、無神論者は信仰者と同じように神を意識しているのである。

 確かに“神を信じない”という態度はそもそも“神”という概念を前提としていることになる。したがって皮肉ながら頑なな無神論者ほど“神”に敏感であるということなのかもしれない。

■“オーマイガー”は日本では定着しない?

 神(God)が使われるフレーズとしておそらく最も頻繁に口にされているのが“オーマイガー(Oh my God!)”だろう。ハリウッド映画などを見れば作品によっては何度も耳にするこの“オーマイガー”だが、キリスト教文化圏ではない我々日本人にとって、このフレーズほど一筋縄でいかない表現はないという。一説によれば、この“オーマイガー”に含まれる意味とニュアンスは、日本語表現では10通り以上もあるというのだ。

1.「あらまぁ!」
 主に女性の感嘆口語表現である「あらまぁ!」は“オーマイガー”の一部の意味を含んでいそうだ。喜ばしく、楽しいポジティブな表現になる。

2.「あぁ……」
 突発的な反応というよりも、しみじみ感慨深い感情が引き起こされたときに口に出てくる「あぁ……」もまた“オーマイガー”のニュアンスのひとつだ。

3.「ほら!」
 周囲の注意を惹く「ほら!」もまた“オーマイガー”が意味するところのひとつだという。

4.「あれっ!」、「ええっ!」
「あれっ!」、あるいは「ええっ!」という驚きもまた“オーマイガー”に含まれているという。

5.「うっそー!」
 ややネガティブな驚きの表現である「うっそー!」もまた“オーマイガー”のひとつのニュアンスであるという。

6.「やだぁ!」
 主に女性が男性の品性に欠ける言動に批判の意味を込めて使うことが多い「やだぁ!」も“オーマイガー”で表現できるという。

7.「なんて(こった)!」
 想定外の失敗を体験したり他人の苦境や失態を知ったりしたときなどに口をついて出てくる「なんて!」もまた“オーマイガー”のニュアンスを含まれているという。

8.「まったくもう!」
 自責の念に駆られ、いらだちを感じた時の「まったくもう!」もまた“オーマイガー”の同類である。

9.「大変!」、「どうしよう!」
「大変!」は緊急事態を伝える表現でもあり、これも“オーマイガー”に含まれる意味である。

10.単独で用いられる感嘆詞
 日本語には単独で使える“オーマイガー”に相当する感嘆詞がまだまだある。前出のものを含む「えぇー!」、「どうしよう!」、「すごい!」、「ちょっとー!」、「うっそー!」などだ。

 ある意味では日本語の豊かさが再確認できる話題であり、これだけ多彩な意味を持っているとすれば、「オッケー」や「サンキュー」のようなフレーズとは違って今後も“オーマイガー”は日本では定着しそうもない気がするがいかがだろうか。

参考:「Raw Story」、「Taylor & Francis Online」ほか

文=仲田しんじ

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