超高齢社会に突入して久しい今日、認知症などの症状がますます深刻な社会問題になっているが、脳機能の維持、向上のためには手先を動かす運動もまた重要であることが最近の研究で報告されている。
■新たな手作業を覚えることで脳が鍛えられる
我々の外見は基本的にはあまり変わらないし、変わるにしてもそれなりの時間が必要となる。それに比べれば我々の脳は実のところけっこう“変わり身が早い”ことでも知られている。最近の研究では、手先をトレーニングすることで、脳内の赤核(せきかく、red nucleus)と呼ばれる脳神経核が短期間で発達することが報告されている。
スイス・バーゼル大学の研究チームが2019年5月に「Nature Communications」で発表した研究では、手先をトレーニングすることで脳もまた鍛えられることが示されている。手先を動かすことは“脳トレ”でもあるのだ。
脳の赤核は主に手が雑に動いてしまう不随意運動をコントロールし、精度の高い動きを行なうことに関係しているといわれている。研究チームはマウスの脳をモデルにした分析で中脳にあるこの赤核が、手先が新たな動きを覚えることで、神経細胞の数が増えると共により接続が密接になることを突き止めた。
「新たに細かい手作業を学んだときには、この特定の動きの連携が最適化され“コード”として赤核に保存されることがわかりました。これにより赤核の融通性のある神経可塑性が示されたのです」と研究チームのケリー・タン教授は語る。
研究チームは次のステップとして、赤核におけるこれらの強化された神経細胞結合の安定性を調査し、いったん学習された細かい手作業が反復されない場合の“退化”の過程を研究するということだ。また今後得られる知見によってパーキンソン病の予防法や治療法に役立てられる可能性があることも指摘している。
新たな手作業を覚えるのに齢は関係ない。手芸や料理、楽器演奏などの“手習い”は脳のためにもきわめて有効であるようだ。
■楽器演奏をマスターした生徒は学業優秀に
手作業からもたらされる恩恵にあずかれるのは中高年だけでなく、むしろ子どもたちなのだろう。最近の研究では、児童期に楽器演奏を習得した子どもは総じて学業の成績が良くなることが指摘されている。
カナダ・ブリティッシュコロンビア大学の研究チームが2019年6月に「Journal of Educational Psychology」で発表した研究では、幼少期に楽器演奏を習得した生徒は、数学、科学、国語の科目で成績が良くなる顕著な傾向が見られることが報告されている。
研究チームはブリティッシュコロンビア州の11万2000人もの生徒の学業データを分析したところ、音楽の授業で歌唱ではなく楽器演奏を選んで履修した者にはその後の良好な学業成績を予測できることが突き止められた。つまり楽器演奏を習った生徒はその後、学業優秀になっているのだ。
「楽器を習得し、アンサンブルを演奏することはとても難しいことです。生徒は、楽譜を読むこと、目と手とマインドの調和をとること、鋭敏なリスニングスキルを伸ばすこと、アンサンブルを奏でるためのチームスキルを伸ばすこと、そして練習を続けるための自律心を高めることを学ばなければなりません。これらすべての学習経験は、学習者の認知能力、実行力、学校で学ぶ意欲、および自己効力感を高める役割を果たします」と研究チームは説明する。
ややもすれば楽器の習得は学童期においては“寄り道”ではないかというイメージもあるのだが、今回の研究では子どもの頃に楽器演奏に習熟することは決してメインの教科の学習を妨げるものではなく、むしろ数学、科学、国語といった主要な教科の成績を高めることが示されることになった。
幼少期に楽器に接して手を動かし、皆で協調して音楽を奏でる体験は、その後の学びの姿勢において教科を越えた大きな影響を及ぼしているようだ。
■手先の器用さを保つ5つの運動
手先の運動が認知機能や脳の発達に影響を及ぼしていることが示唆されているだけに、いつまでも器用でいたいものである。そこで米・南カリフォルニア大学ケック医科大学のウェブサイトでは手先を器用に保つための5つの運動を解説している。
●ソフトボールを握る
ビニールボールなどのソフトなボールを全力で握りしめ、その状態を3~5秒保つ。その後に力を緩め、これを10~12回それぞれ両手で行なう。次にこの運動を行なうのは丸2日空けて3日目ということで、毎日行なう必要はない。
この運動は握力を鍛えると共にすでに関節炎を患っているケースでは痛みを緩和するものになるという。
●親指を握ってコブシをつくる
折りたたんだ親指をほかの4本の指で包むようにしてコブシを握り、そのまま少しその状態を保ってから、できる限り大きく手を広げる。これを3~5回、それぞれ左右の手で行なう(左右同時に行なってもよいだろう)。この運動によって手の可動域を広げることができるということだ。
●運動の前に手を温めておく
手先を使う運動や作業の前にはよく手を温めておくべきであるということだ。事前に手を温めておくことで、手先がよく動き運動の効果も高まるのである。
●指を持ち上げる
まず左手を手のひらを下にしてペッタリと机の上に貼りつける。親指から順番に指を反らせてデスク面から1、2秒離してから再びおろす動作をすべての指で行い、これを左右の手で8~10回繰り返す。
この運動は手の可動域を広げると共に、指の柔軟性を高めるということだ。
●手首のストレッチ
右腕を上げて真っ直ぐ前に伸ばす。その際、手のひらは下にする。腕を上げたままの状態で“オバケのポーズ”のように手首を下に曲げる。これでも前腕部の筋肉が伸びてくるのが実感できるが、左手で力を加減しながら右手首をさらに曲げて筋を伸ばし、この状態を15~30秒キープする。これを左右の手で2~4回繰り返すことで、手首のストレッチになり、運動前の手首の痛みを予防できるということだ。
毎日行なう必要のない運動もあるが、文字通り少し手が空いた時には指を伸ばしたり手首をストレッチしたりしてみるとよさそうだ。
参考:「University of Basel」、「University of British Columbia」、「Keck Medicine of USC」ほか
文=仲田しんじ
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