“微笑”は魅力的でありミステリアスでもある。しかし写真や絵画の微笑を長く眺めていると、実は何らかの感情を隠すための笑顔ではないかという疑念が浮上してくるかもしれない。その代表的な微笑が“モナリザ”だ。
■モナリザは「幸せ」なのか「哀しい」のか?
レオナルド・ダ・ヴィンチが手がけた名作『モナリザ』は魅惑的な微笑が最大の特徴だ。
しかしモナリザの微笑は笑顔なのか? その裏に別の感情を隠しているのではないか? という疑いの声もあり一部では長い間議論されてきた。しかしこの議論にいったんは終止符がつけられる研究が行なわれた。モナリザが笑っているのはほぼ間違いないということだ。
ドイツ・フライブルク大学の研究チームはモナリザのオリジナル画像に修正を施し、オリジナルよりも徐々に笑顔が強調された画像を4種類、逆にオリジナルの画像よりも哀しさが徐々に強調されてくる画像を4種類作り、合計9枚の絵をランダムに実験参加者に見せて描かれたモナリザが「幸せ」なのか「哀しい」のかを判断してもらった。もちろんどの絵がオリジナルであるかは参加者には伝えてはいない。
幸せと哀しさの中間にあるオリジナルのモナリザには最もバラつきのある回答が寄せられるのではないかという予測もあったのだが、収集した回答データを分析してみると、驚くべきことにオリジナルのモナリザを見た参加者の回答の97%が絵の人物が「幸せ」であると判断していたのだ。したがってモナリザの微笑は笑顔であるとみてまず間違いないということになる。
しかしこれには後日談もある。2回目の実験では、オリジナルの画像に加えてすべて「哀しい」方向に修正された画像を8種類用意し計9枚の画像で同様の課題を行なったのだ。その結果、最初の実験のオリジナルのモナリザよりも「少し哀しい」という評価になった。つまりオリジナル画像の評価はほかの画像の影響を受けていることになる。表情の解釈はある程度は相対的なものでもあるのだ。
「脳は幸福と悲しみの表情を判断する絶対的な尺度を持っておらず、多くは文脈に依存しています。人間の脳は範囲の全体に目を通し、以前に体験した記憶を辿って“見積もり”を出しています」と研究者は説明している。
また一連の研究を通して別の発見ももたらされた。それは画像を見て「幸せ」と判断した場合、実に素早く行っているということだ。これはやはり人間が基本的に幸せな笑顔を好ましく感じるからではないかと考えられるという。確かに雑踏の中では幸せそうな人や笑顔の人に自然と目が向いてしまうかもしれない。
■ベストな笑顔である“サクセスフル笑顔”とは
表情がどのように受け止められるのかについては、周囲の状況やその地域の文化なども影響し、また解釈する側のバイアスもあって複雑な要素が絡みあってくるのだが、それでも統計的に最も好印象を与えるベストな笑顔があるという。“満面の笑み”よりも良い印象を与えるベストな笑顔、“サクセスフル笑顔”とはどんな笑顔なのか。
ミネソタ大学の研究チームは人間の頭部の3Dモデルの笑顔にさまざまな修正を施して人々に魅力を評価してもらう大規模な実験を行なっている。
各3Dモデルの笑顔は、口角の角度、笑顔の程度(微笑から満面の笑み)、歯の見え方、左右対称性の要素がそれぞれ異なり、また組み合わせにもさまざまパターンがある。そして参加者はそれぞれの笑顔について、有能さ、誠実さ、快活さを評価した。
人それぞれの好みがあるとすれば評価はかなりバラバラになるのだが、回答データを分析したところ、多くの人から高い評価を受ける“サクセスフル笑顔”があることが浮き彫りなったのだ。そして意外なことに見える歯の面積が広い“満面の笑顔”はそれほど評価が高くなかった。
“サクセスフル笑顔”は左右対称性が高いことが前提で、歯、口角、笑顔の強さがそれぞれ絶妙なバランスで組み合わさった時に実現するという、まさに“スウィートスポット”であったのだ。研究チームによれば、3Dコンピュータアニメーションを使うことで、表情からどのような感情を汲み取るかについてのより詳細な時空間的理解を深められるということだ。
大笑いしている顔や“満面の笑み”の評価はあまり高くないということが今回指摘されることになったわけだが、モナリザが魅力的なのはやはりそのひかえめな微笑にあったということになるのかもしれない。
■人に見られてますます美人になる?
笑顔が魅力的に感じられるのはある意味で人間の本能に基づいていることが濃厚になったのだが、人から見られることでますますその笑顔の魅力が増すのかもしれない。人から見られる体験はポジティブな気分を引き起こして笑顔になりやすいというのである。
フィンランド・タンペレ大学の研究チームは他者のダイレクトな視線を浴びた者の情動反応を調べるために、顔面の筋電図をモニターする実験を行なった。
笑顔の時に使われる頬骨の部分の筋肉はポジティブな感情に結びついているのだが、他者からの視線を浴びた時に動きが活発になっていることがわかった。そしてこれは目が合っている状態でも、視線には気づいているが当人は別の方向を見ている場合でも同様に活発であった。つまり人から見られていることがわかっただけでもポジティブな感情が引き起こされて笑顔になりやすいのだ。
一方で眉を動かす筋肉である皺眉筋(すうびきん)は驚きなどネガティブな感情に結びついているのだが、他者からの視線を浴びると活動が鈍ることもわかった。つまりネガティブな感情が弱まった相乗効果でさらにポジティブになれるのだ。
これまでの研究でも他者の視線を浴びることで顔面の筋肉に顕著な変化が起きることは確かめられていたが、今回の研究ではニュートラルな状況下において他者からの視線はポジティブで親和的な感情をもたらすものであることが示唆されることになった。
美人は人に見られてますます美人になるという言伝えがあるが、あながち間違ってはいなかったということにもなる。見られることでポジティブな気持ちになり、それが動機になって魅力に磨きをかけるという正のスパイラルにいる女性はさらに美人になっていくのだろう。もちろんその中には望まない視線も決して少なくないのだろうが……。
参考:「Nature」、「PLoS ONE」、「ScienceDirect」ほか
文=仲田しんじ
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