自分が暮らす土地が戦火にまみれる体験はその程度はどうであれ、その後の人生を左右する強烈な心理的衝撃になるだろう。そしてショックを受けた多くの者が宗教への帰依を深めていることが最近の研究で報告されている。
■戦火に巻き込まれる体験で宗教への帰依が深まる
ご存知のように世界では今も戦火に晒されている地域がある。そして直接戦争を体験した人々は、より宗教への帰依が深まることが最近の研究で報告されている。戦争が終わった後でも、この時に培われた深い信仰心はその後も長く続くというのだ。
米・ハーバード大学やチェコのカレル大学などの国際的合同研究チームが2019年1月に「Nature Human Behavior」で発表した研究では、かつて内戦に見舞われたシオラレオネ、タジキスタン、ウガンダの71の村の1700人もの人々にインタビューを行い、戦争による意識や価値観の変化を分析した。
いずれのケースにおいても、直接戦火に巻き込まれる体験が多くなるほど、人々の宗教心が深まる顕著な傾向が明らかになった。戦争を体験した人々は、日々の生活の中で宗教を高く位置づけているのである。
研究チームによれば人々の信仰心の深さはその地域(村)が戦争によってどのくらいの被害を受けたかに関係があるという。その個人が被害を受けても受けていなくても、被害の大きかった地域の人々の信仰心は深く、地域内の個人差はあまりないということだ。
また戦争をきっかけに深まった信仰心は、終戦後も長く人々に影響を及ぼし続けるという。たとえばタジキスタンの村では、内戦終結から13年が経った時点でも人々は変わらぬ強い信仰心を維持しているのである。
しかし皮肉なことに、この深い信仰心は往々にして裏目に出るのだ。その地域で人々の宗教による団結力が強まるほど、敵対するグループへの反発が強まり戦闘が激化してしまうのである。そして為政者がもしこうした人々を弾圧すれば、その反抗心に火をつけて内戦が泥沼化するケースもある。政治的に不安定な地域に暮らす人々の心のより所となる信仰心だが、戦地では複雑に作用するメカニズムがあるようだ。
■モラルに厳しい宗教の信者はグローバル社会の“接着剤”
戦争において宗教はひと筋縄ではいかない複雑な役割を果たしていることが指摘されているのだが、今日のグローバル化した社会生活の中で宗教はどのように機能しているのだろうか。実は平和な社会においては宗教は対立を深めるものではなく、公正な組織を形成することに一役買っていることが最新の研究で示唆されている。
グローバル化が進む今日の社会では、職場や学校など、あらゆる組織の多様性が進んでいることはいうまでもない。多様な人々で構成された組織の中で宗教はどのような影響を及ぼすのだろうか。
米・カリフォルニア大学ロサンゼルス校やスロバキアのコメンスキー大学、カナダ・ブリティッシュコロンビア大学などをはじめとする国際的な合同研究チームが2019年3月に「Proceedings of the Royal Society B」で発表した研究では、モラルに厳しい宗教に帰依している者ほど、多様化した組織で協力し合えることを報告している。
研究チームは15の宗教的文化に属する2228人を対象にインタビューを行なうと共に、いくつかの実験に取り組んでもらった。15の宗教的文化背景の中にはキリスト教、イスラム教、仏教といった比較的モラルに厳しい文化もあれば、大食漢、牧畜業者、庭師、田園詩人、賃金労働者などのあまりモラルにはこだわりそうもない無宗教の人々も含まれていた。
実験の課題では、ルール遵守度を計測する任意配分ゲーム(Random Allocation Game)と、公正さを計測する独裁者ゲーム(dictator game)が行なわれたのだが、モラルに厳しい宗教に帰依している者ほど、ルールに従い公正であることが示されることになった。モラルに厳格な宗教の信者は、異なる宗教の信者や無宗教者が相手であっても、モラルに“緩い”人々よりもより規則に従い、よりフェアな意思決定を行なっているのである。
もちろん程度の差こそあれ、同じ宗教を信じる者への“身内びいき”は広く存在しているのだが、それでも常に神に見られていると感じている信者は、そのぶんルールとモラルを遵守しているのである。この研究結果は、今後ますます進む組織の多様化の中にあって、組織の公正さとリーダーシップに大きく関わってくるものであることを研究チームは指摘している。
一見、宗教によって対立や分断が深まりそうにも思えるのだが、グローバル社会にあっては宗教は逆に分断を防ぐ社会的な“接着剤”の役割も持ち得るとすればその重要性は無視できないだろう。
■宗教原理主義者は“フェイクニュース”を信じやすい
このように宗教は“コンプライアンス(法令順守)”の意識の高さに関係していることが示されているのだが、それでも一般の人々には近づき難いタイプの人物もいる。それは教義を絶対的な真実として認識している宗教原理主義者だ。
そして宗教原理主義者は今日の時代、当人にとっても不利益を被る可能性が高まっているという。宗教原理主義者はいわゆる“フェイクニュース”を信じやすいというのである。
米・イェール大学をはじめとする合同研究チームが2018年10月に「Journal of Applied Research in Memory and Cognition」で発表した研究では、オンラインで900人が参加した実験を通じて、妄想傾向の強い人物が“フェイクニュース”を信じやすいことを報告している。そして妄想傾向の強い人物に加えて教条主義者と宗教原理主義者もまた“フェイクニュース”に惑わされやすいことも示されることになった。
実験では12ずつの本物のニュース記事の見出しとフェイクニュースの見出しをランダムに表示して、その見出しのフレーズがどの程度信用できるのかを採点する課題が課された。
回答データを分析したところ、妄想傾向の強い人物、教条主義者、宗教原理主義者はいずれもフェイクニュースを信じやすい性質があることが明らかになった。
この“フェイクニュース耐性”の低さはどこから来るのか。それは考え方の開放性(open-minded)と分析性(analytic)の低さにあるということだ。つまり新たな体験に対して心が開かれておらず、加えて思考が分析的でない場合は、フェイクニュースを見破ることが難しくなるのである。そして宗教原理主義者はこのどちらも欠けているのだ。
まさに“心が狭く”独善的になるリスクが宗教にはあり、その弊害はこうしたフェイクニュース耐性の低下などにも及ぶことを知っておいてもよいのだろう。
参考:「Harvard University」、「The Royal Society」、「ScienceDirect」ほか
文=仲田しんじ
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