政治的保守は健康でハッピーだった?

サイコロジー

 社会の“分断”が深刻な問題となっているが、保守とリベラルの間の溝もかつてないほど深まっているともいわれている。保守とリベラルという考え方の違いは当人にどんな影響を及ぼすのか。最近の研究では保守主義者のほうが概して健康であることが報告されていて興味深い。

■政治的保守主義者のほうが健康

 政治的立場の違いでその人物の特性に違いが生じてくるのだろうか。最近の研究では政治的保守の立場にいる人物のほうがリベラルの人物よりもおおむね健康であることが指摘されている。その差を生み出しているのが政治的保守の者が持つ個人的な責任感の強さにあるというから面白い。

 豪・モナッシュ大学の研究者が2019年1月に学術ジャーナル「Personality and Individual Differences」で発表した研究では、3つの調査を通じて政治的保守のほうがリベラルよりも健康である傾向が高いことを明らかにしている。

 194人を対象に行なった調査では、政治的保守の人物のほうが個人的な責任感(personal responsibility)が強い傾向にあることが浮き彫りになった。そしてこの強い責任感が身体的健康に結びついているというのだ。しかし強い責任感が健康に繋がるとは、いったいどういうことなのか?

 続く204人を対象にした調査では、政治的保守のほうが日常生活でエレベーターやエスカレーターよりも階段を使う確率が高いことも判明した。研究者によればこうした行動もまた政治的保守の責任感の強さをあらわすものであるという。そして階段の利用が多いということは運動習慣にも繋がり、身体的健康に寄与する。

 204人の喫煙者を対象に実験では、政治的保守にまつわる話題(伝統や慣習など)を聞かされた喫煙者は、政治的リベラルにまつわる話題(自由や左翼など)を聞かされた喫煙者よりも、禁煙したい気持ちを持つ者が多くなったという。つまり政治的保守の喫煙者のほうが禁煙したい気持ちを持つ者が多いのである。そしてこれはもちろん健康に配慮しているからであり、禁煙が成功すれば健康に好影響をもたらすだろう。

 政治的保守はおおむね健康で、自分の健康に強い個人的責任感を持っているというこの傾向は『プロテスタントの労働倫理』、つまり自分自身に対して責任があるという考えによく似ていると研究チームは説明する。

 保守主義者のほうが健康だといわれてもなかなかピンとこない人のほうが多いかもしれないが、確かに自分の健康に責任を持てば健康に気遣うことにも繋がるのだろう。ともあれ政治的立場に関係なく健康には配慮したいものだ。

■保守派政治家の話はシンプルでストレート

 健康的であるということのほかにも政治的保守の特徴があることが報告されている。政治的保守の政治家の話し言葉はシンプルでストレートであるというのだ。

 アイルランドのユニバーシティ・カレッジ・ダブリン、蘭・アムステルダム大学の合同研究チームが2019年2月にオンライン学術ジャーナル「PLOS ONE」で発表した研究では、政治家による38万件もの政治演説を分析して、保守政治家とリベラル政治家の話し方の特徴を探っている。

 研究チームは1954年から2015年までの間に欧州10カ国(オランダ、ドイツ、スペイン、イギリスなど)で行なわれた38万件もの政治的スピーチをコンピュータアルゴリズムで分析し、保守候補とリベラル候補の違いを浮かび上がらせた。

 分析によって分かったことは、リベラル候補の演説が難しい言葉を多用しセンテンスが長い“講義”であるの対して、保守候補のスピーチは分かりやすい言葉でストレートに表現する“コミュニケーション”であるということだ。

 理解されやすくより単純な言葉で話す者が保守派になり、多かれ少なかれ難しい単語とより長いセンテンスで話す者がリベルになっている側面もあることを研究チームは示唆している。またそれぞれの聴衆もそのような話し方を好むのではないかということだ。

 もちろん話し方と話の内容は別物ではあるが、現在はニュースで演説の一部を抜粋した映像が流されることも多く、シンプルで意味が明瞭なスピーチのほうが影響力が大きくなる傾向があるという指摘もあるようだ。“小学5年生の英語”とも揶揄されたドナルド・トランプ候補のスピーチが結果的に成功を収めたのは良い実例になるだろう。

 解釈の幅が広がるリベラルの話し方は、より開かれたマインドがあることを暗示するものとも言われているのだが、その思いがストレートに聴衆に伝わらなければ損をしていることにもなる。人に何かを伝える時にはどうすればわかりやすくなるのか、聞く側に立って少し考えてみてもいいのかもしれない。

■保守は“人生の意味”を知っている?

 政治的保守の特徴はまだほかにもあるようだ。リベラルよりも保守のほうが幸せを感じていて、より“人生の意味”を見出しているというのである。まったくもって結構なことではあるのだが……。

 米・南カリフォルニア大学の研究チームが2018年5月に「Social Psychological and Personality Science」で発表した研究では、1981年から2017年の間の5つのデータセットを分析して政治的志向と生活の満足度(well-being)の関係を探っている。

 データを分析した結果、5つのどの調査においても政治的保守は、リベラルよりも人生に満足し、人生の意味と目的を強く感じていることが示されることになった。政治的保守の人々は今の生活に満足しているばかりでなく、これまでの人生全体におおむね満足しているのである。

 政治的保守は敬虔な信者である可能性も高く、宗教に深く帰依しているほどに人生の意味や目的を感じると思われるが、そうした宗教的影響を排除して分析し直してみても、やはり政治的保守は人生に幸せを感じ、意味を見出している傾向が高かった。

 また政治的保守の中には、伝統に則り規制強化を目指す社会的保守(social conservatism)と、小さな政府を目指す経済的保守(economic conservatism)があるが、社会的保守のほうが経済的保守よりも、より人生に幸せと意味を感じているということだ。

 この政治的保守の人々の“ハッピー”さは何に起因しているのか? 研究チームによれはそれは不平等の正当化(rationalization of inequality)と変化への抵抗力(resistance to change)にあるという。つまり社会的不平等を“持てる側”として容認し、現状を変えずに頑なに堅持していく姿勢が政治的保守に幸せをもたらしているのである。

 健康でストレートな物言いをして、人生に意味を見出し幸せを感じているという政治的保守の面々は実に結構だとも言えるが、この“ハッピー”な状態を当然のことと考えている政治的保守が一定数いるのだとすれば、残念ながら社会の“分断”はますます進んでいるということなのかもしれない。

参考:「ScienceDirect」、「PLOS ONE」、「University of Southern California」ほか

文=仲田しんじ

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