映画の醍醐味の最も大きなもののひとつが“心を動かされる”体験だ。感動のストーリーに涙して優しい気持ちになったり、“スポ根”映画で勝利を味わった後にはカラダの動きが機敏になったりと、実際に観賞者の気分を変えてくれる映画について興味深い研究が報告されている。
■映画で潜在的な性質が引き出される
映画の内容によってはその日の気分がガラリと変わることがあるだろう。最新の研究では映画が政治的立場にまで影響を及ぼす可能性を指摘している。
米・ジョージア大学のジェフリー・グラス氏とノースカロライナ大学のベンジャミン・テイラー氏による共同研究が2017年12月に学術ジャーナル「American Politics Research」で発表され、観賞した映画の内容と政治的権威主義との関係をさぐった実験が報告されている。
実験では、291人の大学生に3つの映画のうちのどれか1つを観てもらい、その後に“政治的権威主義度”を測る性格診断テストが行なわれた。3つの映画とは、紀元前480年のペルシア戦争における「テルモピュライの戦い」を描いた戦記スペクタクル映画『300 〈スリーハンドレッド〉』、近未来デストピアSF『Vフォー・ヴェンデッタ』、娯楽アクション・コメディの『21ジャンプストリート』の3タイトルだ。
国家や組織などの構成員は基本的には全体のために奉仕すべきであると考える“政治的権威主義”の度合いを測る診断テストで出される問は、例えば下記のようなものだ。
●子どもにとって最も身につけるべき大切な修養は何か。(下記から選べ)
独立心、目上の者を敬うこと、従順さ、自信、好奇心、行儀良さ、思慮深さ、正しい言動
こうした問いに加えて、国家、抗議活動、移民、徴兵制などへの立場を明らかにする質問が出題された。
収集した診断テストのデータを分析した結果、『300 〈スリーハンドレッド〉』を観賞した学生の権威主義度が高まっていることが示唆されることになった。一方で『Vフォー・ヴェンデッタ』を観賞した学生の反権威主義度もまた高まっていたのだ。コメディの『21ジャンプストリート』を観た学生は前出の両グループの中間に位置していた。
映画は潜在的な性格特性を引き出す力を持っており、重要な政治的問題に関する意見に影響を及ぼすということで、我々はメディアから提供されるメッセージについて常に批判的に考えるようにしなければならないと研究チームは指摘する。映画はもちろん、メディアのコンテンツからも政治的な影響を被っているのは事実であり、我々は常にそのことを意識していなければならないのだ。
もちろんその映画がどれくらい楽しめたのかで影響力も違ってくるし、観賞する側の好みの違いもあるのであくまでも“傾向”の話にはなるが、“プロパガンダ”という言葉は今日でもまだまだ効力を持つ言葉であることが再確認できる話題と言えそうだ。
■映画は脳にとって現実問題
そして実際に映画の持つ影響力は脳科学の分野でも確かめられている。映画鑑賞は脳にとってリアルな体験と変わらないことが最新の研究で指摘されているのだ。
フィンランド・アールト大学が2017年10月に「Nature」で発表した研究は、2009年の映画『私の中のあなた(My Sister’s Keeper)』を実験参加者に観賞してもらい、脳活動をリアルタイムでモニターするという興味深い実験結果を報告している。
ジョディ・ピコーの同名の小説が原作の『私の中のあなた』は、白血病の姉のドナーになることを目的に遺伝子操作の末に生まれたいわゆる“デザイナーズベビー”の妹が、親たちの意図に気づき姉のために求められた腎臓の提供を拒否したことで波乱のストーリーが繰り広げられる。まさに近未来の社会道徳を占う社会派ドラマだ。
実験ではこのストーリーを知らない30人の女性に、上映時間が25分に再編集されたバージョンを観賞してもらい、その際にfMRIで鑑賞中の脳活動をモニターしてデータを収集した。
実は再編集した25分バーションの映画には、妹が“デザイナーズベビー”であるというはっきりした表現を入れていなかった。そして実験参加者を2グループに分けて、映画の上映直前に“予備知識”を伝えたのだ。研究チームは、Aグループには作品に登場する姉妹が同じ両親のもとに生まれた血縁のある姉妹であると伝え、Bグループには妹はまだ物心つかない時期に養子として迎え入れられた血縁関係のない義理の妹であると伝えたのだ。
収集した脳活動データを分析したところ、AグループとBグループの脳活動はまったく違っていたことが判明した。Aグループではモラル、気分、意思決定をコントロールする脳の部分が活発になったのに対し、Bグループでは明らかにモラル的なジレンマに苛まれていることを示す脳活動がモニターされたのである。つまりAグループは作中の妹の言動にはっきりした態度(支持、不支持、中立)をもって観賞していたのだが、Bグループは“義理の妹”という条件によって立場を決めかねてモラル的に揺れ動いていたのだ。
A、B両グループともに、ほとんどの参加者は「実の姉妹であるか義理の姉妹であるのかの問題ではない」と主張していたのだが、実のところ脳活動はまったく違っていたのである。いかに“血縁”が我々の意思決定において決定的な要素であることを示すことになったと言えるだろう。そしてこうした実験でも有効に機能するほど、映画で描かれる内容が実体験に順ずる体験であることが改めて指摘されることにもなった。
■“泣ける映画”でドーパミンの分泌が増える
優れた“社会派”映画にはいろいろなことを考えさせられるものだが、一方で“泣ける映画”をついつい選んで観てしまうという向きも少なくないだろう。どうしてある種の人々には“泣ける映画”がクセになるのだろうか。
イギリス・オックスフォード大学の研究チームは、実験参加者に映画を観賞してもらう実験を行なっている。169人の参加者が観たのは、BBC2で2007年に放映された『Stuart: A life』という映画で、アル中で元薬物中毒者で、加えて強盗・傷害で前科のあるホームレスの伝記で“泣ける”ドラマである。
一方、コントロールグループの68人はイギリスの地理と考古学を紹介するネイチャー系のドキュメンタリー作品を観賞した。
両グループ共に観賞前と後に、今の気分や感情を細かく検分する調査を行なった。また、痛みに耐えられる度合いである痛み耐性(pain tolerance)を測定するために、壁に背中をつけて90度ヒザを曲げた“空気イス”状態でなるべく長い時間キープするテスト(wall sit test)を行なった。このテストで長く姿勢をキープできる者には天然の鎮痛剤ともいわれる脳内神経伝達物質・エンドルフィンがより多く分泌されていると考えられるのだ。
研究の結果、全体的な傾向として“泣ける映画”を観た人は連帯感をより強く感じ、ドーパミンの分泌が増えて痛み耐性が高まることが判明した。一方で自然ドキュメンタリーを観た人はそれほど気分に変化はなく、痛み耐性もあまり変わらなかった。痛み耐性については、“泣ける映画”を観た人はドキュメンタリー映画を観た人と比べて18%高まるということだ。
しかしながらこの連帯感、一体感の高まりは必ずしもポジティブな気分ではなく、怖れや怯えなどのネガティブな感情によって連帯感が高まるケースもあり、“泣ける映画”で高まる連帯感はネガティブな気分に由来するものであるということだ。
ホラー映画の鑑賞は仲を深めたいカップルのデートに適していると言われるが、この“泣ける映画”もまたカップル間の連帯感、一体感を深めることに一役かってくれるのかもしれない。映画の持つ意外な“効能”をいろいろと活用してみてもよさそうだ。
参考:「SAGE Journals」、「Nature」、「The Royal Society」ほか
文=仲田しんじ
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