久しく会っていない知人の名前が出てこなかったりするなど、物忘れを自覚するのはちょっとしたショックを伴う体験になるだろう。しかしながら情報の大洪水を招いている今日の社会にあって、物忘れはあまり気にしなくていいのかもしれない。
■情報の洪水の中で求められる“忘却力”
我々は日々新たな情報を取り入れて活用している一方で、不要な情報をどんどん忘れている。むしろ瑣末な情報を積極的に忘れる“忘却力”が、今日の情報の洪水に巻き込まれた生活の中で鍵を握っているといえるのかもしれない。
カナダ・トロント大学の研究チームが2017年6月に神経科学系ジャーナル「Neuron」で発表した研究によれば、我々の記憶力は必ずしも物事を正確に把握するためにあるわけではなく、将来の賢明な意思決定に役立てることを第一の目的にしているということだ。情報の正確さよりも運用性のほうが重視されているのである。つまり我々の記憶力はより良い判断をするために備わっている能力なのである。
そしてこの“忘却力”が果たす4つの好ましい働きがある。
1.新たな体験に適応しやすくなる
変化の早い世の中においては過去の教訓に学ぶことよりも、新たな局面に対処できる適応力が求められる。瑣末な情報は無視して目の前の課題に取り組むことで、なるべくバイアスのかからない意思決定が可能になる。マウスを使った実験では一度記憶を消し去ったマウスのほうが早く迷路を攻略できることが確かめられている。
2.効率化に繋がる
あまり重要でない情報を忘れて過去の体験がぼやけてくることで、物事の“要点”が浮き彫りになる。この要点こそが将来の効率的な意思決定に役立つのだ。なにも個々の細かいディテールをずっと憶えている必要もないわけである。
3.情報の“仕分け”ができる
重要度の高い情報は常にアクセスできなければならないが、重要でない情報を溜め込んでしまうことで優先順位の“仕分け”が複雑になる。常に最新の優先順位を保つためには重要ではない情報をどんどん省いていくことが求められる。
4.クリエイティビティが向上する
一度頭の中を“真っ白”にした状態のほうが良いアイディアが生まれやすいことがいくつかの研究で指摘されている。かつてカリフォルニア大学で行なわれた実験では、身の回りのありふれたモノの新たな使い道を考える課題において、本来の用途を一度意図的に忘れた状態のほうがアイディアが多く出てくる傾向が浮き彫りになっている。
ありとあらゆる情報が氾濫した今日の高度情報化社会において、時にはこれらの“忘却力”を活用して日々の判断を効率的に行いたいものだ。
■一晩寝なかったマウスが今いる場所を混同
脳内の“仕分け”のためには良い睡眠が欠かせないことが最近の研究で示唆されている。
どうして1日の3分の1もの時間を眠りに費やさなくてはならないのか、良く考えてみると不思議な感じがしないだろうか。最新の研究では、睡眠は身体を休めるという以上に脳にとってきわめて重要なものであることが指摘されている。睡眠中、脳内では“情報整理”が行なわれているのだ。
睡眠はまずなによりも“脳に良い”ことが示唆されることになったのだが、今年2月に発表された研究では残念ながら睡眠薬によってもたらされた睡眠ではこの“情報整理”の効果はもたらされない可能性が報告されている。
米・ジョンズホプキンズ大学の研究チームはマウスを使って睡眠と記憶に関する実験を行なった。
まずマウスを新しい環境に置き、電気ショックを与えて恐怖を植えつけた。そしてその中の一部のマウスにはその後に記憶を混乱させる薬を投与した。
マウスにいったん睡眠を与え、再びこの環境に戻してみるとマウスは恐怖がよみがえり行動が鈍くなった。次にまた別の新しい環境に置いてみるとマウスの恐怖感は和らぎ活動はやや活発になったのだが、記憶を混乱させる薬を与えたマウスは新たな環境にあっても依然として身をすくませてあまり動かなかったのだ。
これは薬を与えられたマウスは脳内の“情報整理”がうまくできていないためだと考えられるということだ。睡眠中のこの“情報整理”において、神経細胞のシナプスが20%縮小する現象があるのだが、薬を与えたマウスのシナプスには縮小が見られなかったという。
「シナプスが縮小することができなかったためショックの記憶が強いままだと考えられますが、他のすべての記憶も強く残っているため、マウスは混乱して2つの場所を区別できませんでした。そして今回の研究は“一晩寝て考える”ことが実際に思考をクリアにしていることを示しています」と研究チームのグラハム・ダイリング博士は語る。
重要な意思決定の前には、時間が許すかぎり「一晩寝て考える」のは実際に有効であるようだ。しかしながらその睡眠は睡眠薬を使ったものであってはならないようである。必ずしもマウスで起ったことが人間にそのまま適応されるわけではないが、脳にとっての睡眠の大切さがよくわかる話題だ。
■“脳に良い”11の身近なフードアイテム
脳にとって睡眠の次に大事なのはやはり栄養素だろう。身近にある“脳に良い食べ物”が11ある。
1.脂肪の多い魚
サバやイワシ、ニシンなどオメガ3脂肪酸が豊富な魚は脳に良い。かつての研究では、焼き魚や煮魚を日常的に摂取している人々は脳の灰白質の量が多いことが指摘されている。
2.コーヒー
コーヒーに含まれるカフェインと抗酸化物質が脳の健康を保つ。カフェインによって意識の明晰さが向上し、気分がすぐれ、集中力が高められる。
3.ブルーベリー
ブルーベリーに含まれるアントシアニンには抗炎症化、抗酸化作用があり脳の健康に大きく寄与する。かつての動物実験でブルーベリーが記憶力を向上させ、短期記憶の消失を遅らせたことが確かめられている。
4.ウコン(ターメリック)
ウコンに含まれるクルクミンというポリフェノール化合物が脳に直接作用して抗炎症化、抗酸化を促す。またクルクミンはアルツハイマー型認知症の人々の記憶力を向上させ、うつ気分を解消し、脳細胞の成長を促進するといわれている。
5.ブロッコリー
ブロッコリーもまた抗炎症化、抗酸化作用をもたらす化合物を多く含んでおり、加えてビタミンKも豊富で脳細胞のスフィンゴ脂質(sphingolipid)の形成に重要な役割を果たす。
6.パンプキンシード(ペピータ)
カボチャの種であるパンプキンシードは抗酸化作用に優れ、脳の健康に欠かせない亜鉛、マグネシウム、銅、鉄といった栄養素が豊富である。
7.ダークチョコレート
ダークチョコレートおよびココアに豊富に含まれるフラボノイド、カフェイン、抗酸化物質が脳の健康に資する。特にフラボノイドは学習と記憶に好影響を及ぼす。
8.ナッツ類
ナッツ類はビタミンEをはじめとする栄養素を豊富に含み脳の健康を保つ。2014年の研究ではナッツは認知機能を向上させ神経変性疾患(Neurodegenerative Disease)を予防することが指摘されている。いずれのナッツも“脳に良い”が、特にクルミ(ウォールナッツ)はオメガ3脂肪酸も豊富で効能に優れる。
9.オレンジ
オレンジに含まれる豊富なビタミンCが脳機能をシャープに保ち、加齢による認知機能の低下を抑える。オレンジのほかにもピーマンやグアバ、キウイ、トマト、ストロベリーなどもビタミンCが豊富で推奨できる。
10.卵
ビタミンB6、ビタミンB12、葉酸、コリンをはじめとする豊富な栄養素が認知機能の維持・向上に有効に働く。特にコリンは神経伝達物質であるアセチルコリンの生成を担い気分と記憶の向上に寄与する。
11.緑茶
緑茶に豊富に含まれるカフェインが認知機能を明晰に保つ。また緑茶に多量に含まれるアミノ酸の一種であるテアニンが神経伝達物質のGABA(y-アミノ酪酸)の活動を促進し、うつ気分を解消し気分をリラックスさせる。さらにポリフェノールと抗酸化物質も多く、老齢期の認知機能の衰えを遅らせる。
このように“脳に良い”食べ物は身近にたくさんある。身体の栄養補給だけでなく、脳の健康にも配慮した食事を心がけたいものだ。
参考:「Cell」、「Science」、「healthline」ほか
文=仲田しんじ
コメント