外国語をマスターすることで得られる“特殊能力”とは?

サイエンス

 英語に限らず、外国語をマスターすることでいくつもの実利が得られるが、単なる“スキル”という以上の特別な能力も獲得できそうであることが、最近の研究で指摘されている。

■「トロッコ問題」で“殺人”を犯しやすくなる条件とは?

 かつて話題になったテレビ番組「ハーバード白熱教室」(NHK)でマイケル・サンデル教授が取りあげた議題のひとつに「トロッコ問題」がある。「トロッコ問題」の細かい状況設定はいくつかのバリエーションがあるが自分が傍観者であるケースでは、このまま何もしなければトロッコに轢かれて5人の命が失われる状況の中で、橋の上にいる別の1人を線路に突き落として5人を助けるかどうかを問うものである。

 もちろん人として殺人を犯してはならないが、みすみす5人の命が失われるのを黙って見るのも後々まで罪悪感が続くトラウマになるかもしれない。そしてこの橋の上の1人が“太った男性”で、今にも轢かれそうな5人は女性と子どもたちであったりするなどして、考えを迷わせる演出もいくつかある。

 決断に迷うところだが、自分が傍観者の場合は手をこまねいているうちに5人が轢かれてしまうケースが多くなるかもしれない。“教室”でも実際に5人を見殺しにすることを選ぶほうが多数派であった。しかし興味深いことに、1人を犠牲にする行為に出る確率がきわめて高まる条件があるという。それは当人にとってこの時の状況が外国語を話す環境であった場合だ。

 2014年にシカゴ大学とスペインのポンペウ・ファブラ大学の合同研究チームによって、外国語を話す条件下において「トロッコ問題」では母国語の環境下であるよりもはるかに高い確率で1人を犠牲にする“殺人”を行なうことが確認されている。そしてシカゴ大学の研究チームはこの問題をさらに深く掘り下げている。

 2017年8月に「Psychological Science」で発表された研究では、外国語によるコミュニケーションがどのように意思決定から“感情”を取り除いているのかが検証されている。

 一連の実験を通じて、外国語を話す条件下では多くの人命を助けることにおいて“殺人”を犯す感情的嫌悪感が弱まり、刷り込まれたタブーが破られ得ることを示唆している。つまり外国語を話す状態では感情を排した、ある意味でドライで合理的な判断を下しやすくなるということだ。逆に言えば、もし慎重に考えてみたい問題や案件があった場合、故意に外国語で考えてみることで冷静になれてより合理的な判断ができることにもなる。

 研究チームは今後さらに現実の社会生活において、外国語を使うことが意思決定にどのような影響を与えているのかを探る取り組みに着手するということだ。例えばカルテなどを外国語で書き記す医師は多いが、やはりこれは冷静な判断に繋がる職業的経験知であるのかもしれない。

■バイリンガルは二重人格?

 外国語をマスターすることで冷静沈着な意思決定が可能になるとすれば、ますます外国語を学ぶ意義が高まるというものである。思考に影響を与えるに留まらず、話す言語によって当人のパーソナリティーがある程度変化していることも少し前から指摘されている。

 2015年に発表されたランカスター大学とストックホルム大学の合同研究チームが発表した研究では、ドイツ語と英語のバイリンガルとそれぞれのモノリンガルに実験に参加してもらい、言語の違いが体験に対する反応にどう影響しているのかを探っている。

 実験では、日常生活の中での人間の動作を記録した短い映像がいくつか上映された。例えば駐車場で歩いている女性の姿や、スーパーマーケットの駐輪場に向かう自転車に乗った男性などが映し出されたのだ。

 映像を見せられた参加者はそれぞれ今見た映像を言葉で言い表すように求められた。するとモノリンガルのドイツ語話者と英語話者の表現方法の違いが浮き彫りになったのだ。

 ドイツ語話者は例えば「自分の車に向かって歩いている女性」、「スーパーマーケットへ向かって自転車を漕ぐ男性」という表現をするのに対し、英語話者はシンプルに「歩く女性」、「自転車を漕ぐ男性」という言い方をする傾向が明らかになったのだ。

 ドイツ語話者は映像の人物の行き先や目的を考えに入れて映像を“ワイド”に見ている傾向があり、英語話者は人物により焦点を当てて“ズーム”で見ている傾向があることが判明したのだ。これはそれぞれの言語における言葉の使われ方の特徴が影響しているという。ドイツ語は“目的志向”であり、英語は“行動志向”なのである。

 では、バイリンガルについてはどうなのか。なんとバイリンガルの場合は、与えられた言語の文脈に基づいて視点を切り替えていることがうかがえる分析結果となった。つまりバイリンガルの場合、使う言語によって同一人物の中で物事のとらえ方が変化しているのだ。ある意味では“二重人格”になっているとも言える。

 実際にこれまでの調査でも、バイリンガルの人々の3分の2は使う言語によって考え方やパーソナリティーの一部が変化すると報告している。外国語をマスターすることは新たな別人格を形成するということにもなりそうだ。

■自由な会話では言語の“切り替え”に苦労しない

 鉄道の駅や街中で英語や中国語のアナウンスを聞くことが多くなってきているが、今後も母国語と外国語が混在する場所や組織が増えこそすれ減ることはないだろう。こうした日本語と外国語が“ちゃんぽん”の状況に身を置くと、当人にとってかなりのストレスなると考えられる。まさに頭が“こんがらがった”状態になってしまいそうだ。

 しかし最新の研究では、我々のイメージよりもバイリンガルの人々は易々とストレスなく言語の“スイッチ”を切り替えていることが指摘されている。

 米・ニューヨーク大学の研究チームはバイリンガル話者の神経活動を理解するために、脳の電気的活動を記録して神経活動をマッピングする磁気脳磁図(MEG)を用いて、英語=アラビア語のバイリンガル話者の脳活動をモニターした。

 脳活動をモニター中、バイリンガル話者はいくつかのシナリオで話す言語を変える必要を迫られる。シナリオの中にはほぼ強制的に言語を変えなければならない状況もあれば、完全に自然な形で言語を変える設定もある。

 収集したデータを分析した結果、強制的に言語を変えた場合と自然に変えた場合では脳活動が大きく異なっていることが浮き彫りになった。具体的には、強制的なシナリオでは思考と認知の中枢となるエリアである前帯状皮質と前頭前皮質が活発に活動していたが、自然なシナリオでは活動していなかったのだ。

 これまでの研究では、バイリンガル話者の言語の切り替えにはかなりの知的な労力が必要とされていると考えられてきたが、自由な会話の場合においてはほとんど何のストレスもないことが指摘されることになったのである。

 外国語学習者や中級者においては残念ながらあるていど“考えて”外国語を話すことになるが、バイリンガル話者にとってはどちらの言語であっても思っていることが直接を口を衝いて出てくるということになる。この発見は、外国語学習のメソッドにもヒントを投げかけるものになるのかもしれない。つまり“強制的”な感じを受ける学習は頭で考えることに繋がりやすく、自然な会話力が身につかない要因になっているかもしれないからだ。自発的かつ自由な気持ちで外国語学習に取り組みたいものだ。

参考:「SAGE Journals」、「SAGE Journals」、「JNeurosci」ほか

文=仲田しんじ

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