街中で同一の知人に続けざまに出くわした体験はないだろうか。同性同士であればあまり気にならないかもしれないが、これが異性だった場合は“天の思し召し”と感じるケースもあるだろうし、場合によっては“ストーカー”行為が疑われてくることがあるかもしれない。だがひとまずご安心あれ。最新の研究ではそれらはやはり単なる偶然であると結論づけている。
■単なる偶然を“必然”と思いやすい人々がいる
“偶然の出会い”は何者かによって仕組まれたものではないかと考えてしまう疑い深い人々もいる。単なる偶然を“必然”と考えてしまうのは、その人の持つ性格特性なのか、それともその“偶然”が仕組まれたもののように思われやすいものだったからなのか、この問題についての理解を深めるためにスイスのフリブール大学とフランスのパリ大学の合同研究チームが実験を行なっている。
実験は大学生とオンラインで参加した成人の計400人以上が参加して行なわれた。それぞれの参加者は、物事には何事にも裏があると考えがちな「陰謀論者」傾向を測るテストが行なわれた後、アルファベットの“O”と“X”を組み合わせた12文字の文字列を見せられた。例えば「XOOXOXOOOOXX」のような文字列である。
40通りの異なる文字列を見せられるにあたり、事件参加者は、これらの文字列はある規則性を持って並べられたものと、まったくランダムな方法で作られたものの2種類があると告げられたのである。しかし実際のところはこの40の文字列はまったくの任意の組み合わせでできたものだ。
実験参加者はそれぞれ1組の文字列を見た後に、完全にランダムな文字列であるという評価である“1”から、完全に規則性のある文字列であるという評価の“6”まで、6段階評価ですべての文字列を評価した。
実験の結果はある意味で予想通りのものになった。テストによって判明した「陰謀論者」度の高い人物は、見せられた文字列に規則性があると感じる傾向が高いことが浮き彫りになったのだ。つまり、単なる偶然を、仕組まれた“必然”と感じるのかどうかは、その人の性格特性に帰するということになる。
「いわゆる“陰謀論”は現在、大きな事件や出来事があった際にすぐに世の中に広まっていきます。この陰謀論が政治的判断や投票行動、科学への信頼といった健全な判断を揺るがすものであり、そこには過激派や暴力行為に繋がるものさえあります。我々の研究はこのような陰謀論の心理学的、社会的メカニズムを解明することにあります」と研究を主導したセバスチャン・ディェクェツ氏は語る。
偶然はあくまでも偶然であって、そこにどのような意味を見出すかはもちろん各々の自由ではあるが、現実はやはりそれほどロマンティックではなかったといえるのかもしれない。
■身近な“偶然の一致”トップ5
ではいったい、日常生活の中でどのような身近な“偶然”が起っているのだろうか。英・ケンブリッジ大学の統計学者、デイビット・スピーゲルホールター教授が人々から4470件もの“偶然の一致”の体験談を集め、調査分析会社にデータ解析を依頼するとともに独自の研究を行なっている。
データ分析によれば、“偶然の一致”出来事の58%は家族や恋人に関わるものであった。しかしこれは家族・恋人関連の出来事がより気づきやすいものであることからきていると、データ分析会社「Quid」のジェス・マクアン氏は語る。ちなみに日常生活の中で出くわす“偶然の一致”のトップ5は以下の通り。
1. 身近な人物と誕生日が一緒だったこと(11%)
2. 本やテレビ、ラジオなどのニュースで見聞きした物事と何らかの接点があること(10%)
3. 休暇中のバカンスでの意外な出会い(6.1%)
4. 駅や空港など公共の場所で知人と出くわすこと(6%)
5. 結婚相手とその家族にまつわるこれまで知らなかった意外な接点や共通点(5.3%)
トップに輝いた誕生日の偶然などをはじめ、全体の28%が日付や数字に関わる偶然であるということだ。そして、この偶然を人々がどのニュアンスで語っているのかについてのデータも浮き彫りになっている。
この“偶然の一致”を32%がネガティブに感じている一方、良くも悪くもないニュートラルな印象が41%、そして喜ばしいポジティブなものとして感じているのが25%と、意外にも(!?)恋愛や結婚に発展するような、ロマンティックで喜ばしいものとはあまり感じられてはいないことが明らかになった。
そしてさらに意外なのは、“愛”に関するもの(220例)よりも“死”に関するもの(373例)のほうが多かったことだ。死に関する“偶然の一致”とは、例えば親や知り合いの故人に同じ命日のケースがあるとか、参列した葬儀でまったく予期していなかった知り合いの参列者に出くわすなどの偶然である。
おそらく“偶然の一致”は我々が思っているよりも多く身の回りで起っていて、意識するとしないとに関わらず我々はその中から意図的にピックアップして、それを“偶然の一致”と見なしているという側面もあるのかもしれない。その意味で“偶然の一致”は今の自分の心のありようを映し出す鏡なのかも!?
■5兆4000億分の1の確率でも現実に起り得る
どんなに“偶然の一致”が続いたとしても、それはやはり偶然であるというのが、これまでの話の結論になる。これまでの人生で体験したことのない「ありえない!」ことが連続して起きたとしても、そこには“仕掛け”や“陰謀”はないのだ。よくある“偶然の一致”で見事(!?)1位になった「身近な人物と誕生日が一緒だったこと」も、実は確率にそれほど“ありえない”ことではないというから驚きだ。
よくある偶然の一致のトップである「身近な人物と誕生日が一緒だったこと」だが、統計学的には、20数人の人が一同に介せば、“同じ誕生日の人”がおおよそ50%の確率でいるという。1年は365日で、したがって確率50%なら183人以上の集団でないとだめなような気がするのだが、実は23人が集まればその中に同じ誕生日の人がいる確率は50%以上になるのだ。これは「誕生日のパラドックス」といって、多くの人の実感と確率に大きな開きがあるケースとして知られている。
またこのようなありえなさそうな“偶然の一致”を総称して、王立統計学会の前会長である数学者、デイヴィッド・J・ハンド氏は「ありえなさの原理(Improbability Principle)」と呼び、万が一にもありえなさそうなことが、実は世の中でけっこう頻繁に起っていると説明している。自分の一生の中ではまず遭遇しないと思われる“ありえない”出来事でも、世界中では毎日のようにどこかで起っているのだ。
例えばイギリスのゴスポート在住の電気技師、マイク・マクダーモット氏はロトくじでいつも同じ数列を記入していたのだが、2001年6月遂にその数字で2等賞が的中し19万4501ポンドを獲得した。そしてその後もこの同じ数列を使い続け、2002年5月には再びその数字の組み合わせで同じく2等賞が的中、12万1157ポンドを手中に収めている。ある学者によれば同一人物が同じ数字の組み合わせでロトくじに2回当選する確率は、なんと5兆4000億分の1ということである。ほぼ“ありえない”と思われる物事でも、広く世を見渡せばいろんなところで実際に起こっているのだ。
このように、絶対にありえないと思われる偶然も、起る時には実際に起こり、それが幸運であれ不運あれ、自身にふりかかってくることもじゅうぶん“ありえる”ことを、この機会に確認してみてもよさそうだ。
参考:「Association for Psychological Science」、「The Atlantic」ほか
文=仲田しんじ
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