“リッチ”よりも“プア”のほうが気前が良かった?

サイコロジー

 幸せの秘訣はどこにあるのか――。それは人に“施す”ことに関係がありそうだ。

■利他的な行為で“幸福度”を維持できる

 人間には強欲で足るを知らない一面があり、どんなに幸せな状態にあってもそれに慣れてしまうと幸せがどんどん薄まっていくといわれている。

 心理学にこれは快楽順応(hedonic adaptation)と呼ばれ、既に満たされている要求に対しては徐々に有難味を感じなくなってくる心のメカニズムである。したがって幸せをキープするためには新たな体験を次々に呼び込んでいかなければならない。

 このように幸福を追求する行為は案外大変なものなのだが、実はもっと簡単な方法で幸せが長続きすることが最近の研究で報告されている。それは人に施しをすることだ。

 シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネスやロンドン・ビジネス・スクールをはじめとする合同研究チームが2018年5月に「Psychological Science」で発表した研究では2つの実験を通じて、他者に小額のお金を頻繁に与えることで、主観的な幸福度が維持できることを報告している。

 1つめの実験では計96人の実験参加者に5日間にわたって毎日5ドルが与えられたのだが、ランダムに2分されたAグループはその5ドルで毎日同じモノを買うことを求められ、Bグループは何らかの方法で他者に与えるように指示された。

 502人がオンラインで参加した2つめの実験では参加者は一連のワードパズルゲームに挑み、正解した時の賞金(5セント)を自動的にチャリティできることが伝えられた。もちろんチャリティをするかしないかは自由だ。

 いずれの実験でも参加者はその日の主観的な“幸福度”を自己申告することが求められたのだが、いずれにしても人にお金をあげたりチャリティをしたりといった利他的な行為は“幸福度”を維持するものであることが示されることになった。小額でもある程度頻繁に“施し”をすることで、生活の満足度をキープできるのだ。

 研究チームによれば、“手に入れる”ことで得られる満足感は“結果”に基づくものであり容易に比較可能で、獲得した瞬間を頂点にその後は急激に満足感が下るのに対し、“与える”ことでもたらされる満足感は“行為”であり体験としてあまり比較できるようなものではなく、結果がすぐには出ない(あるいは永遠に出ない)ために満足感が長続きするのではないかと説明している。

 募金活動で満足感を得るというのは皮肉にもある意味では利己的な行為と言えるのかもしれないが、誰も損をしない限りにおいてきわめてソーシャルな“幸福追求”なのだろう。

■“リッチ”よりも“プア”のほうが気前が良い?

 チャリティや募金が人を幸福にするのであれば、リッチな人々は心がけ次第で実に幸せな人生を送れそうであるが、話はそう単純ではないらしい。リッチな人々はプアな人々よりもお金のシェアに乗り気でないという。特に自分でお金を稼いでリッチになった人々にこうした気前の悪さがあるというのだ。

 英ロンドン大学クイーン・メアリーをはじめとする合同研究チームが2018年6月に社会心理学系ジャーナル「Basic and Applied Social Psychology」で発表した研究では、“公共財ゲーム”を行なう実験を通じて人々の経済状況と金銭的な“気前の良さ”の関係を探っている。

 公共財ゲーム(public goods game)は参加者全員が高い公共心を持って多額のお金を提供できれば2倍になった大きなリターンが人数分の均等割りで返ってくるのだが、自分だけお金を出さずに儲けに便乗してちゃっかりお金を増やすことができるオプションもあり、ゲームを通じて人々の社会経済的行動を観察できるゲームである。

 各人の最初の持ち金は通常、平等に同じ金額が配られるのだが、研究チームはランダムに人選して最初の持ち金が多い“リッチ”と持ち金が少ない“プア”に2分させた。

 ゲーム中の参加者の行動を分析したところ、総じて“プア”の人々のほうが“リッチ”よりも高い公共心を持って自分のお金を気前良く差し出す傾向が浮き彫りになった。つまり“プア”は金離れが良く、“リッチ”のほうはケチなのである。

“リッチ”の中でもゲームを通じてお金を増やした、つまり自分で“稼いだ”者が最もケチで、公共のために差し出す金額が最も少なかった。

 そして興味深いのは、これらの行動は同情心や利他心に基づいた行動ではないということだ。“プア”は確かに気前良くお金を差し出して全体の利益のために貢献しているのだが、これは利他心から行なっているわけではなく、ある意味で“捨てるものがない”という潔さから生じている行動なのである。逆に“リッチ”が全体の利益のためにはあまり行動しないのも、特に自己中心的であったり利己的だからではないことになる。

“リッチ”の間でも気前の良さ、ケチさに差があるのだが、それは現在の富が偶然にもたらされたものなのか、自分で築き上げたものなのかで違ってくることもまた明らかになった。前者は比較的気前が良く、後者はケチになる。資産家や成功した経営者の子息が時にお金にだらしなかったりするのもそれが自分で稼いだ金ではないからということなのだろう。

■“リッチ”が気前良くなる条件とは

“リッチ”が往々にしてケチなのは特に利己的であるからではないことを先に記したが、“リッチ”がここぞとばかりに気前が良くなる時は、ある種の利己心が働いているのかもしれない。“リッチ”がチャリティをする理由の1つに、自分が人々を“仕切れる”という確信があるという。

 例えば環境保護チャリティから賛同を呼びかけられた場合、「これ以上、自然環境を破壊することはできないのです」と説明されるのと、「自然環境保護のために今あなたの行動が必要とされています」と説得されるのではどちらが“ソノ気”になれるだろうか。

 英・ハーバード大学とカナダ・ブリティッシュコロンビア大学の合同研究チームがオンライン学術ジャーナル「PLOS ONE」で発表した研究では、名門大学であるいわゆる“アイビーリーグ”の卒業生で年収1000万円以上の高収入サラリーマン1万2000人に、経営難の学校に対する寄付を呼びかける手紙を送る実験を行なった。

 手紙の文面は2種類あり、そのどちらかが任意に送られたのだが、それぞれ下記のような文章表現であった。

A:時には一個人が前に出てそれぞれの社会貢献をする必要があるのです。

B:時にはコミュニティが共通の目標を遂げるために共に前進する必要があるのです。

 個々の寄付行動を分析したところ、Aの寄付をする個人の賞賛に値する行動に焦点を当てた文面を受け取った者のほうが、Bの一般的な社会正義に根ざした表現よりも1.5倍も寄付金額が多かった。ちなみにAの文面を受け取った者の平均寄付額は432ドル(約4万7000円)で、Bの文面を受け取った者は平均270ドル(約3万円)であった。

 したがって高収入の“リッチ”は社会正義を振りかざされてもあまり募金に積極的にはなれないのだが、あくまでも個人の主体的な行動が賞賛されるのであれば、気前良くチャリティに応じるのだ。これはチャリティの対象により強くコミットし、コントロールできるという手応えが感じられればそれなりの対価を支払うことにやぶさかではないということになる。

 ある意味では利己的な“打算”ということにもなりかねないが、基本的にケチである“リッチ”にもこうした気前が良くなるケースがあるということは、マーケティング的な重要な知見ということになるのだろう。

参考:「APS」、「Queen Mary University of London」、「PLOS ONE」ほか

文=仲田しんじ

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