一般的な社会人から見て、いわゆる“トンデモ”な信念や信仰を持つ人々が少数ではあれ確かに存在している。時にそうした人々は“常識を覆す”偉大な発見や発明を成し遂げることがあるが、残念ながら最後まで理解されずに終わるケースも多い――。
■皆既日食で地球が平面であることが証明された?
そうした残念なケースになるのかどうか微妙な(!?)案件に「地球平面協会」がある。にわかには信じられない向きも多いとは思うが、地球平面協会は読んで字のごとくこの地球は球体ではなく平面であると主張している人々の団体だ。ちなみにその歴史は意外に古く1956年に結成され、彼らによれは地球は円盤型の平面で“北極”が中心にあり、氷に覆われた周縁部が“南極”であると定義している。
普段はやはり怪訝な目で見られがちな(!?)地球平面協会のシンパたちなのだが、2017年8月のアメリカ皆既日食でその存在感を増していたという。そのわけはなんと皆既日食で地球が平面であることが証明されたというのである。
いったいどういうことなのか? “平面論者”たちの言い分は主に、今回の皆既日食の移動スピードが早すぎることと、皆既日食時の月の影の大きさが実際の月よりも小さすぎることを挙げているようだ。
ツイッターをはじめとするSNSでこれらの問題提起が取り沙汰されたのだが、それを目にした科学者らによって“平面論者”たちの主張は残念ながら科学的に論破されることになってしまったようだ。アメリカ大陸を横断した皆既日食のスピードは月の公転速度に加えて当然ながらその地域の緯度の自転速度も影響しており、今回の皆既日食の速度におかしいところは何もないということだ。また地球に投影される月の影の小ささも、直径が地球の100倍もある太陽の広大な“光源”を考慮すれば当然であるという。太陽はあらゆる方向から地球に光を届けているからこそ皆既日食がレアな現象なのである。
瞬間風速的には面目躍如となるかに思えた“平面論者”たちの主張だったが、皆既日食のスピードに倣うかのような早さで束の間の夢が潰えてしまったようだ。
しかしそれでも地球平面協会の活動が終わることはない。彼らは今回の皆既日食に際し、とりわけ「太陽を直接見てはいけません」と各方面からの執拗な注意喚起があったことに疑惑の目を向けているという。人々に直接皆既日食を見せないことで何かを隠蔽する意図があると疑っているのだが……。
■“陰謀論”を支持する人のキャラクター特性は?
地球平面協会の面々のほかにも、やや奇妙な信念や飛躍しているとしか思えない認識を持っている人々は、“自己申告”していない者を含めれば意外に多いのかもしれない。
偶然に起ったされる出来事にもその裏に何らかの意図や計画があったと考えるいわゆる“陰謀論”と呼ばれる考え方もまた一般的にはなかなか受け入れられないだろう。もちろん中には本当にその出来事が偶然を装っていながらも用意周到に計画された謀略であるケースもあるのだろうが、そうした例はきわめて少ないと考えるほうが自然である。
しかし決して少なくない人々が科学的根拠や物証のない“陰謀論”を支持しており、その信念は深いという。どうして一部の人々はそうも熱心に陰謀論へ傾倒するのか。陰謀論にまつわるこうした現象について、最近になって2つの研究が報告されている。
フランス・グルノーブル大学の研究チームが心理学系ジャーナル「Social Psychology」で発表した研究では、1000人以上の実験参加者の思考パターンとキャラクター特性を分析し、“陰謀論”に傾倒している人物の性格的特徴を探っている。
分析によれば、“陰謀論”に傾倒している人物は、自分が希少性の高い情報を持っていると考えており、自分自身がユニークな存在であろうとする欲望が高い傾向があるという。
またその逆も真なりで、ユニークな存在であろうとする欲望の高い人物ほど“陰謀論”に傾倒する傾向があるということだ。つまり人とは違うという独自性を追求する人ほど“陰謀論”を信じ込みやすいということになる。
またドイツのヨハネス・グーテンベルク大学マインツの研究チームが発表した研究においても、やはり1000人以上の実験参加者を分析し、群集の中から頭ひとつ抜きん出て目立ちたいという欲望が非合理的な理論を採用する原動力になっているという結論を導き出している。このほかにも研究チームは、より少数の人々の間でしか共有されていない“陰謀論”がより多くの支持を受けることも発見した。
どうやら“陰謀論”には独自性や個性の追求がきわめて強く関係しているようである。
■若年層にとって宗教への深い帰依はリスクをはらむ
“陰謀論”はまだそれが科学的に扱えるものであり得ることが多いが、その点で厄介なのは宗教だ。宗教は必ずしも科学的な裏付けを必要としていないからだ。そして最新の研究では、若年層のうちに深く宗教に帰依することは、後のメンタルヘルスにとって“諸刃の剣”となりうる危険性をはらんでいることが指摘されている。
一般的には、宗教の神や仏を信じ信仰心を持つことは慎み深く謙虚な心を育てるものとして広く支持されている。しかし最近になって、これまで見逃されてきた“信仰のダークサイド”が明らかになってきたのだ。そのダークサイドとは神と共に認めなくてはならない“悪魔”の存在である。
米・パデュー大学の研究チームはアメリカで2003年から2008年の間に行なわれた青少年と宗教に関する国家的電話調査である「National Study of Youth and Religion」のデータを分析することで、若年期における“悪魔”の存在への信念の強さは、若年期と青年期の精神的健康の悪化を占うきわめて確実性の高い指標になることを導き出した。
しかしながらこの逆の因果関係は認められなかった。つまりメンタルヘルスの悪化によって“悪魔”の存在が信じられてくるのではないということである。
若年期(10代)に神と共に悪魔の存在を深く信じることで、自分にはどうにもならない圧倒的な邪悪な力が存在することを理解し、早いうちに絶望感と無力感に打ちひしがれる内面的体験を通じて、その後の人生の中で愛されていない感覚や悲しみ、うつ気分などが生じやすくなっているという。これまで顧みられてこなかったこの皮肉な現象を研究チームは“信仰のダークサイド”であると形容している。
危機感や恐怖を正しく受け止めることは、人生をサバイバルするうえで有利に働くものになるのだが、それが“悪魔”のように人智の力ではどうすることもできない脅威であった場合、ストレスになり負け犬根性を生じさせ、不信と絶望の増加につながり得るという。そして社会的不安、偏執症、強迫神経症、不安障害などのメンタルの健康悪化に結びつくということだ。
今回の研究は、今まであまり問題にされてこなかった“信仰のダークサイド”に光を当てるものになり、若年層にとって深い宗教的帰依は“諸刃の剣”のメカニズムを伴っていることを示唆するものとなった。つまり“悪魔”の存在をこれまで軽視しすぎてきたということになる。信仰の道へ進むのでもない限りは、幼少期の早いうちから熱心な宗教的教育を施すことについて疑問を提示するものになったと言えるだろう。信念や信仰について、考えを新たにさせてくれる話題が続いているようである。
参考:「IFL Science」、「APA PsycNet」、「Wiley Online Library」ほか
文=仲田しんじ
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