「形から入る」という言葉もあるが、ビジネスの現場においても身だしなみを整えて仕事に臨むことでパフォーマンスの向上を見込むことができ、成功に繋がりやすくなることがサイエンスの側からも指摘されている。
■身につけるモノがメンタルに多大な影響を及ぼしている
何事にも“襟を正して”臨むことで、気持ちも引き締まり質の高い仕事ができることが各種の研究で指摘されている。多くの職業においてドレスコードや仕事着、制服があるのも、こうしたメンタル面の働きが“世間知”として認められているからにほかならないだろう。
2015年の米・コロンビア大学の研究では、周囲よりもフォーマルな装いが着ている当人をクリエイティブな存在にするという研究結果を報告している。実験によって、周囲よりもフォーマルな服装をすると、思考の抽象度のレベルが上がる傾向があり、より広い観点とより長期的な視点で物事が考えられるようになるということである。つまり、フォーマルな格好で意図的に周囲から“浮く”ことで、今この瞬間の現実から距離を置くことができるようになるというわけだ。
また2012年の米・ノースウェスタン大学の研究では、研究者は白衣を着ているときのほうがミスが少ないことが明らかになっている。衣服が精神面での集中力に影響を及ぼしているのだ。また面白いことに、その白衣が“ドクター用”か“絵画家用”かでも(実際には同じものであっても)、作業ミスの確率が違ってくるという。もちろん“ドクター用”の白衣を着ていたときのほうがミスが減るのだ。
服装だけでなくサングラスについても面白い研究がある。ブランド物の高価なサングラスはかける本人の気持ちも周囲の見る目にも影響を与えると考えられるが、偽ブランドの高級サングラスを偽物と知っていてかけている女性は、金銭授受の際に人を欺くことが多い傾向があることが実験で判明したという。なんとも恐ろしい話だが、偽ブランドのサングラスが人を詐欺的人格に変える影響力を持っているということになる。
また自分だけでなく、模造品の高級サングラスをそれと知っててかけている女性は、サングラス越しに見るほかの女性の行動も何か疑わしいものに感じる傾向があるということだ。文字通り“色メガネ”をかけて他者を見ているのである。高級ブランドの模造品は、単純に本家の利益を損なうだけでなく、身に着けている者のモラルの低下を招くというなかなか深刻な悪影響もあるのだ。
衣服をはじめ、身につけるモノがメンタルに及ぼす影響は考えられているよりも大きなものであることが指摘されているわけだが、その一方で故スティーブ・ジョブズ氏やマーク・ザッカーバーグ氏など、ビジネスの最前線にいながらにしてラフな普段着姿で人前に現れる人々もいる。彼らの場合はあまりにも天才的すぎて服装の“影響力”などまったく通用しないということなのだろうか。
■“レッドスニーカー効果”とは?
身だしなみを整えることで、本人の気分も一新されて集中力も増し、また顧客や取引先からも良い印象を受けることで業績が向上するというのは、確かにうなずける話だ。
しかしその一方で、故スティーブ・ジョブズ氏やマーク・ザッカーバーグ氏など、ジャケットすらめったに着ないビジネスリーダーも少ないながらも存在し尊敬を集めている。どのような考えであのような極端なドレスダウンをしているのか、他者からはうかがい知れない側面もあるのだろうが、この“戦略”もまたうまく働いた場合は本人にとって利益をもたらすという指摘もある。その組織の中で標準とされている遵守事項から少し逸脱した行為は、むしろ当人に有利に働くことあるというのである。これはいわばスーツにスニーカーを履いているような行為ということで、“レッドスニーカー効果”(red sneaker effect)と呼ばれている。
2014年にハーバードビジネススクールで行なわれた研究では、アカデミズムの世界において、“一般常識”に従わない行動や表現を人々はどう受け止めるかの調査が行なわれた。一方はヒゲを剃った顔でスーツを着ており、もう一方はヒゲを生やしTシャツ姿の2人の男性の大学教授の写真を生徒たちに見せて、この人物の教師・研究者として能力を評価してもらった。すると多くの生徒は、Tシャツ姿の教授のほうが優れた人物であると評価したということだ。
さらに研究チームは、ある学会の参加者をランダムに76人選んで、出席時の服装の“フォーマル度”を詳しく分析した。服装をチェックすると共に、各人物のこれまでのアカデミックな業績についても調べた。すると、Tシャツやジーンズといったラフな格好で学会に参加している人物は、研究論文の執筆数が多い傾向が浮き彫りになったということだ。もちろん、学術的な評価はケースバイケースだと思うが、生産性が高い人々であることは明確であるという。ということは、決して印象の問題というわけではなく、カジュアル派には実際に“実力派”が多いということにもなりそうだ。
そして極論すればこれは単に服装だけに関わることではなく、どれほど“一般常識”から逸脱しているかという表現の問題になるということだ。“一般常識”からの逸脱が許容されている“Tシャツの教授”には、周囲の状況にかかわりなく自分の世界を持っているという“自信”が感じられてくるのである。そして権力と高い地位をイメージさせることで、評価と信頼が集まるのだ。したがって、ひとかどの人物と思わせるためには、スーツにスニーカーもあり得る選択肢なのかもしれない!?
■最後は“ファッションセンス”の問題か
プロフェッショナルとしてキャリアを積んでいこうと志すのであれば、状況が許す限りにおいてスーツに赤いスニーカーを履いて(あくまでも喩えとしてだが)職場に行くのもじゅうぶんあり得る選択ということになるが、最近発表された見解ではこの“レッドスニーカー効果”は、すべてのケースで当てはまるわけではなく“効果”を発揮するにはいくつかの条件があることが指摘されている。
“レッドスニーカー効果”が効果的に働くための最も重要な条件は、それが故意に行なわれていることで、それを本人もじゅうぶんに自覚していることが大前提となるという。つまりあくまでも意図的にラフな格好をしているのであって、服装に無頓着だったり、ズボラな性格のためだからではないことをちゃんと伝えるような策が講じられていなければならないということだ。
確かに、ラフな格好が常識に欠けていると受け取られてしまえば尊敬されるどころか非常識な人間と見なされてしまうことになる。“一般常識”をわきまえたうえで、意図的にその規範を破っているからこそ、周囲に“自信”と“権力”、そして“高いステイタス”を伝えることができるのである。無自覚に赤いスニーカーを履いていることは、まったく別の意味を伝えてしまうことになるということだ。
そしてもうひとつは、やや残念な話になってしまうのかもしれないが、総じて“赤いスニーカー”を履けるのは、高い地位や高度な専門家集団に属してしている人物だけであるということだ。それは故スティーブ・ジョブズ氏やマーク・ザッカーバーグ氏の例を見ても明らかだろう。入社間もない平社員がスーツに“赤いスニーカー”を履いて会社に来れば、それはたいていの場合単なるドレスコート違反になるだけだ。
したがって、つまるところはやはり広い意味での“ファッションセンス”が問われることになる。非常識の烙印を押されるのは愚行であるし、服装に無頓着だと思われてしまうのも心外だろう。しかしながら、無難な服装に徹すれば埋没する一方であろうから、それに甘んじたくなければ靴でもネクタイでも腕時計でも、何かしら“おやっ?”と思わせる要素をあまり目立ち過ぎないようにさり気なく身に着けることに尽きるのかも知れない。
参考:「Scientific American」、「The Cut」、「Pay Scale」ほか
文=仲田しんじ
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