日々多くの人間が集う仕事の現場では、あまり目撃したくはないものの、いろんな理由で共に働く者が流す涙を目にすることがあるかもしれない。多くの場合は予期せずして目撃する“職場での涙”をどう理解し、どう扱えばよいのだろうか。
■“職場での涙”は今後普通のことになる!?
新しい職場環境に対処するための自己啓発本『It’s Always Personal: Navigating Emotion in the New Workplace』(アンネ・クレマー著、2013年刊)によれば、過去1年において女性の勤労者の実に41%は職場で涙を流した経験があるという。一方で男性勤労者の場合は9%だ。もちろんできることなら涙を流すことなく仕事に勤しみたいのだと思うが、結果的に女性にとって“職場での涙”はわりと身近な現象であるということになる。
勤務中に舞い込んできた突然の訃報や悲劇的なニュースの反応ならいざしらず、仕事に起因するこの“職場での涙”は、やはり周囲からはおおむね不評のようである。その理由はやはり、泣くことは個人的な感情に襲われていると見なされることであり、ビジネスの現場という公の場所には相応しくないという認識が支配的であるからだ。
大人数のオフィスでは、仕事の上で何か嬉しいことがことがあって突然叫ぶ者がいたり、ひと組のグループから歓声があがったりすることもあり、直接関係ない者にとって気は散るかもしれないが、気分を害することはあまりなさそうだ。しかし一方で、職場での涙は周囲にネガティブな印象を与え、不安にさせてしまいがちだ。そしてこの泣いている同僚は、ほとんどの場合が女子社員なのだ。
確かに生理学的に女性は涙を流しやすい。女性ホルモンの一種で母乳の分泌を促進するプロラクチンは、同じく涙の分泌も促す働きがあることがわかっている。また涙の通り道である涙管が、男性よりも女性のほうが概して細くて短いため、涙を溜めておくことができずすぐに溢れ出てしまう傾向もあるという。そして心理学的にも、女性が泣く理由は悲しいからだけではない。無力さを痛感した時、希望が見出せなくなった時、問題に対処する手段が何もない時などにも女性は涙を流すという。つまり悔し涙も多いのである。
涙が多いということは、女性の“涙の価値”も下がってしまっているということだ。これは自ずから男性にとっては有利に働き、めったに見ることのできない“男泣き”は同情を誘い、泣いている男性をより情け深い人物へと仕立て上げる。その一方で女性は人の助けを請うために意図的に泣いているのだという印象を持たれてしまうこともあり、女性の立場をますます悪いものにしているようだ。しかしほとんどの女性は決して意図的に泣いているわけではなく、どうすることもできない生理的反応として、そこが職場であっても涙を流すのだ。これに何かうまい解決策はあるのだろうか?
「The Atlantic」の記事によれば、職場で泣いている人がいるのは異常事態でも何でもないことであり、慣れていくしかないという。人の涙を必要以上に気にする必要もないし、自分が泣きたい時も無理に抑え込まなくてもよいということである。今日の高度情報化社会で、ビジネスの現場は産業史はじまって以来の空前のストレスに日々晒されているといわれている。それでも組織が一丸となって仕事を進めていかなければならない中にあっては、感情を素直に吐露できる“笑いあり涙あり”が許される職場環境が一部で確実に求められていそうだ。
■サービス産業の“模範社員”には精神疾患のリスクあり
ビジネスという公の場であっても、自分の感情を過度に抑え込んだり、あるいは都合の良いように偽ったりすることにはメンタルヘルスの面で大きな危険があることが指摘されている。もちろん、ビジネスマナーとして顧客に対して物腰の軟らかい好印象を与えるべく務めるのは当然といえば当然なのだが、それも度が過ぎれば精神衛生上、深刻な事態を招きかねないと警告を発している研究者らがいるのである。
日本のGDPの70%を占めるサービス産業だが、その中でも特に対人折衝や接客に関わる仕事では感情労働(Emotional Labour)が要求されている。感情労働とは、純粋な仕事のパフォーマンスだけでなく、感情の適切なコントロールを要求される仕事である。典型的な感情労働にはクレーム対応業務が挙げられるだろう。もちろん飲食店での接客や小売店での販売などの業務では常に笑顔を求められているケースも多い。いわゆる“スマイル0円”である。
感情労働に従事する人々にとって重要なのは適切なストレス発散である。アメリカの社会学者、A・R・ホックシールドによれば、感情労働に取り組むに際して、人は2つの態度に分かれるという。ひとつは「表層演技(surface acting)」と呼ばれ、文字通り仕事での感情表現を仕事であると割り切って行なう態度である。極端な言い方をすれば顧客を“騙して”仕事をしていることになるのだが、それはそれでもちろんストレスに晒されることから、適切なストレス解消が必要とされる。
もうひとつの立場は「深層演技(deep acting)」と呼ばれ、そもそもはサービスであるはずの感情表現を、自分自身の本当の感情であるように、自分に信じ込ませて行なう勤務態度である。いったんこの深層演技が身についた者には、仕事に対するやりがいも感じられてくるため、顧客からも好印象を受ける傾向があるのは言うまでもない。まさに現場の“模範社員”になる人々である。そしてこの模範社員たちはストレス解消の必要性もあまり感じていないということだ。
実はこの深層演技は、ストレスに晒されることをあらかじめ防衛するための“自分を偽る”心の働きなのだが、これを続けることで、うつなどの深刻なメンタル障害を引き起す可能性が指摘されている。理由は単純で、たいていの人間は自分をずっと偽り続けることはできないことからくる。蓄積した自分への偽りはどこかの時点で無視できない感情の矛盾を生じさせ、それがいったん引き起こされればうつ病などの精神障害へと繋がることになるのだ。
この問題に触れている「Psychology Today」の記事では、睡眠、瞑想、休息の重要性を指摘しており、時折は他の同僚のサポートに徹することも有効なストレス対処法であることにも言及している。あくまでもストレスはストレスと自覚し、決して自分を偽ることなく適切に解消していくことが求められているようだ。
■精神的消耗に対処するための11つの方法
情報サイト「Life Hack」では、感情労働などから来る精神的消耗に対処するための11つの簡単な方策を紹介している。
●社会活動を定期的に行なう
定期的に何らかの集会やイベントに参加することで、別の観点から社会を見る目が養われ、行き詰まりを感じている状態から抜け出ることができる。
●運動を日課にする
どんな軽くても、またどんなに短時間でも運動を日課にすることで心身ともに健康な状態に保てる。
●趣味に熱中する
しばしの間、何もかも忘れて没頭できる趣味があれば、メンタルの健康の維持にはとても有利だ。どんなアクティビティでもよいのだが、やはりスポーツなど運動に関わるもののほうがより効果的だろう。
●ボランティア活動をする
人のために専心して働くことによって、自分の身にのしかかってる重荷をいったん下ろすことができる。定期的にボランティア活動をすることで精神の安定を維持できるのだ。
●人生の“活動計画”を書き記してみる
週末などに時間を作って一度今後の自分の人生についての基本方針をあらわす活動計画(マニフェスト)をじっくりと考えて書きとめてみることも有意義だ。現在直面している難局から離れて過去を振り返ってみたり、一段階大きな観点から物事を考えてみたりすることで、現在のストレスを客観的に対処できるようになる。
●手助けを頼む
時には素直に誰かに助けを求めるのも有効なストレス対処法だ。頼む相手を間違えてはいけないが、自分の“弱さ”を見せられる協力者がいることで気持ちはずっと軽くなる。
●周囲を笑わせる
同僚でも顧客でも、ちょっとしたフリートークができる機会には気の利いたジョークで相手を笑わせてみることを心がける。うまくいけば相手のストレスの解消にも役立ち場が和らぐだろう。
●“防災リスト”を作成してみる
もし明日にでも今の環境を離れるとしたら何が必要なのか、モノやお金、能力などを列挙してリストを作ってみる。なるべく具体的に考えて書き留めることで、現在の自分が置かれている状況が冷静に分析でき、決して八方塞りの状態ではないことを理解することができる。
●朝に数分間の“儀式”の時間を作る
たった数分でも早起きをして、その時間に何か自分のしたいことする習慣をつける。気に入った書籍を少しずつ読むのでもよい。これが習慣になることで、心に余裕が生まれ精神も充実する。朝の時間をすべて出勤の用意のためだけに使うのはもったいない。
●言い訳をやめる
繰り返される部下の失敗に叱責が絶えない上司もいるが、これは確実に精神的消耗に繋がる。他者への批判をやめることで“孤軍奮闘”状態にならずに精神的安定を得られる。
●責任を引き受ける
「責任を引き受けることは期待に応える能力を育む」(スティーブン・リチャーズ・コヴィー:作家)――。責任を引き受けることで、言い訳ができなくなり、余計なことに気を煩わされることなく仕事に専心できる。
身も心も消耗しきってしまう“燃え尽き症候群”から我が身を守るには、やはり日頃の“心のメンテナンス”と、日々ほんの僅かでも時間の余裕を持つことが肝要のようだ。
参考:「The Atlantic」、「Psychology Today」、「Life Hack」ほか
文=仲田しんじ
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