クモ恐怖症を一語であらわす「アラクノフォビア(Arachnophobia)」という言葉があるほど、英語圏ではクモを恐れる人々が存在感を持っているのだが、最近になって我々のクモへの恐怖は本能に根差したものであることが指摘されている。
■クモへの恐怖は本能に刷り込まれている?
どうして我々の一部はこれほどまでにクモを恐れるのだろうか。それもそのはず、我々は本能的にクモとヘビの姿に敏感であることが最近の研究で指摘されている。
ドイツのマックス・プランク研究所とスウェーデン・ウプサラ大学、オーストリア・ウィーンの大学の合同研究チームが2017年10月に学術ジャーナル「Frontiers in Psychology」で発表した研究では、生後6ヵ月の乳幼児にクモとヘビを含むいくつかの画像を見せてその反応をモニターする実験を行なっている。
これまでの研究では年齢に関係なく、クモやヘビなどの毒を持つ可能性の高い生物に対する恐怖を我々は基本的に持っていることが報告されている。ではこの恐怖は後から学習したものなのか、それとも本能に備わっている恐怖なのだろうか。
研究チームは32人の生後6ヵ月の乳幼児、つまり“物心”がついていない赤ちゃんに、クモ、ヘビ、金魚、花などの画像を見せて、瞳の瞳孔の様子をその都度モニターした。実験の結果、クモとヘビの画像を見たときの乳幼児の瞳孔は大きく広がっていることが確認された。つまりクモとヘビの危険性について予備知識のない乳幼児であっても、その姿に敏感に反応しアドレナリン系の働きが活発になっていることが示されたのだ。
クモとヘビを見せたとき、花と魚を見せたときよりも赤ちゃんの瞳孔は顕著に大きくなるのだが、このクモとヘビへのこの特定の反応は、人類にとって4000万年~6000万年以上続く潜在的な恐怖であると研究チームは説明している。
一方でこれまでの実験では、乳幼児は同じように危険であるはずのクマやサイなどの画像には恐怖を感じていないことが確かめられている。クモとヘビにこうした恐怖の反応が見られるのは、人類と共存してきた時間の長さにあるという。クモとヘビは4000万年~6000万年以上も前から我々の祖先の生物が脅かされ続けてきた対象であり、もはや本能に刷り込まれていると考えられるのだ。
なんともスケールの大きい話にはなったが、クモに対する恐怖は進化生物学的な分野に属する問題だったということになる。アラクノフォビア(クモ恐怖症)の症状はある意味では致し方のないものにもなりそうだ。
■クモ恐怖症が2週間で治る曝露療法とは
もはや人類の宿痾(しゅくあ)とも言えそうなアラクノフォビア(クモ恐怖症)だが、最近ではこうした恐怖症や不安障害への治療法も進んでいる。そしてクモ恐怖症の改善に有効であることが確かめられた療法に、曝露療法(ばくろりょうほう、Exposure therapy)がある。
イギリス・マンチェスター大学の研究チームが2017年3月に心理療法系の学術ジャーナル「Journal of Anxiety Disorders」に掲載した研究では、アラクノフォビアの改善にコンピュータCGを用いた暴露療法が有効であることを報告している。しかも2週間ほどでかなりの程度、アラクノフォビアが軽減し、克服することも可能になるということだ。
曝露療法とは要するに“避けずに慣れよ”ということで、恐怖や不安を感じる対象に向き合うことで徐々に恐怖感を低減させていく療法だ。しかしどうしても最初は心理的な抵抗が伴うため、心構えを整えるための入念な準備と、いつでもやめられる手筈が確保されていることが重要である。
研究チームは、96人のクモ恐怖症の患者にコンピュータのディスプレイ上でクモの画像を見てもらう曝露療法を施した。ディスプレイ上のクモの画像は、ゲーム用のジョイスティックを使ってズームアップさせたり逆に遠ざけたりすることが可能である。この機能を患者に与えることで、無理なくクモに“慣れる”ことができるのだ。最初のうちはもちろんクモの画像をアップにすることはきわめて難しいが、徐々に自己裁量で画像をアップにしていくことで、クモに慣れ、ひいてはクモ恐怖症の改善、克服に繋がるのである。
毎日少しずつでもこの治療を続けた結果、平均17日でかなりの程度、クモ恐怖症を軽減できたことが研究で報告されている。この一度の治療がその後もずっと有効であるのかどうかなど、関連する追加の研究が求められてはいるものの、恐怖症の克服にかなりの効果を発揮するものであることは間違いなさそうだ。クモが苦手な人々には明るい話題だろう。
参考:「Frontiers in Psychology」、「ScienceDirect」ほか
文=仲田しんじ
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