撮影した画像が手軽に投稿できるインスタグラムの人気も後押ししてか、ネット上には世界中の人々のプライベート写真が溢れかえっているのはご存知の通りだ。その中でも、自撮り画像と並んで目立っているのが食べ物の画像ではないだろうか。
■“フードポルノ”のメンタル面の危険性
日本語のSNSには特に食べ物画像が多く投稿されていることが指摘されていて、今や日本語ブログの特徴として認識されている。しかしもちろん世界的にもフード系ブロガーが数多く活動しており、それぞれ精力的に日々のご馳走の画像を投稿していることはいうまでもない。
食べ物にあまり興味のない者からしてみれば、ネット上に氾濫する食べ物画像はそれほど気にならないのだろうが、一方で食いしん坊やグルメの面々、あるいは食事制限中やダイエット中の人々にとってはいずれも目を引くものになり、ついついチェックしてしまうことからこれらの食べ物画像は“フードポルノ”という不名誉な(!?)呼称さえ与えられ、まさにSNS時代を象徴する賛否両論の行為になっている。
また料理を提供する店舗側にしても反応はさまざまで、宣伝になるとして歓迎している店がある一方、ほかの来店客に迷惑がかかるとして「撮影禁止」を明示する店もある(法的には料理のみの撮影&ネット投稿は問題ないといわれている)。
そしてネット利用者ならよくよくご存知のことと思うが、自らの食生活をかなりの割合で画像に収めてアップしている“グルメブロガー”も少なくなく、その中には多数のフォロワーを獲得して人気を得ているケースも見られる。
毎度の食事の画像を撮影しアップロードするという行為が明らかに偏執的である場合、投稿者には何からのメンタルな問題を抱えているのではないかという指摘を、カナダ・トロント大学のヴァレリー・テイラー医学博士が行っている。何が問題なのかといえば、こうした人々は毎日の生活の中で“食”が最大の関心事になっているという点だ。
「私たちは自分にとって重要なモノを写真に収めます。ある種の人々にとっては、一緒に行った人やお店以上に、その料理が興味の中心になっているのです」(ヴァレリー・テイラー博士)
食事に考えが支配されている状態は、過食にもなれば拒食にもなり得るという。自発的な“フードポルノ”投稿者は、投稿を続けているうちに食べ物に対する歪んだ複雑な認識が形成され、摂食障害に繋がる潜在的な危険性があるということである。
南カリフォルニア大学の研究では、ネット上の“フードポルノ”は肥満に結びつくと指摘しており、またこれはアメリカならではの現象のようだが、食べ物や料理を絵柄にした「フードタトゥー」をカラダの各所に入れる人々にも共通しているリスクではないかということだ。SNSに氾濫する“フードポルノ”から悪影響を受けたくないものだ。
■“フードポルノ”が料理を美味しくしている?
テイラー博士の指摘で、食べ物画像の投稿行為(foodstagramming)に病的でネガティブなイメージが植えつけられてしまいそうだが、決して悪いことばかりではなさそうだ。「Journal of Consumer Marketing」で発表された研究は、食事の直前に写真を撮ることで、料理が美味しくなることを指摘している。
研究では120人以上が参加したいくつかの実験が解説されている。そのひとつは、スイーツ的食べ物(レッドベルベットケーキ)を食べる前に写真を撮ったグループと撮らなかったグループにそれぞれ美味しさを評価してもらうというものだ。その結果は、直前に写真を撮ったグループのほうが、ケーキの美味しさの評価が高くなったのだ。
次の実験でもまた直前に写真を撮ってケーキを食べてもらったのだが、Aグループには「このケーキはリッチな素材をふんだんに使っている」と事前に伝え、Bグループには「このケーキは味を損なうことなく低カロリーの素材を使っている」と伝えた。実際はどちらも同じケーキである。
そしてどちらのグループにも美味しさを評価してもらったのだが、Aグループのほうが評価が高かったということだ。これはつまり、健康に良いダイエット仕様の食べ物が美味しくないと感じることを正直にあらわしていることになる。興味深いことに“ダイエット食”や“ヘルシー食品”という(にせの)情報だけで、味の評価が下がってしまうのだ。
3番目の実験は、他人が撮った食べ物画像の影響を探るものであった。インスタグラムに投稿されているアサイーボウルやケールスムージーの画像を見てから、実際にそれらのメニューを食べて美味しさを評価してもらう調査を行なったのだが、やはりというべきか他人の食べ物画像を見てから食べたほうが美味しさの評価が高くなることがわかった。つまりネットに氾濫する“フードポルノ”が、実際に料理の美味しさを高めているのだ。
研究者は、食べる前に写真を撮るという“儀式”によって、料理を積極的に味わおうとする姿勢が生まれ、結果的に美味しく食べられるのではないかと説明している。食べる直前に写真を撮ることで期待が高まり、味に影響を及ぼしているというのだ。
そう考えると、食べる前に「いただきます」と手を合わせたり、クリスチャンの食前のお祈りなどの“儀式”も(宗教的な意味を度外視して)一種の美味しく食べるための知恵なのかもしれない。忙しい生活の中にあっても、出された料理にいきなりガッつくのではなく、少しは目でも楽しみながら余裕を持って食事をしたいものである。
■カメラは幸せの“発生装置”
“フードポルノ”あるいは食べ物画像ばかりでなく、自撮りを含めて日々の記録をこまめに写真に残していることは、生活全般の幸福感を高めるという研究も報告されている。
2016年6月に南カリフォルニア大学の研究チームが「Journal of Personality and Social Psychology」に発表した論文では、2005人もの参加者によって調査された大がかりな実験が紹介されている。数は大規模ながらも、内容はシンプルな調査で、2005人の参加者にさまざまなアクティビティを行なってもらい、一方のグループにはカメラ持参で写真を多く撮ることを心がけてもらい、他方のグループはカメラを持たずに行なってもらった。その後、それぞれのアクティビティ体験がどれほど楽しかったのかを評価してもらったのだ。
ダブルデッカーのバスに乗ったり、ミュージアムでアート観賞をしたり、地元の料理に舌鼓を打ったりという、観光旅行的な9種類のアクティビティを体験してもらったのだが、やはり結果は予想通りで、なるべく多く写真を撮った参加者ほど、楽しい体験をしている傾向が判明した。
「写真を撮らないことに比べれば、写真をとる行為が当事者意識を高め、アクティビティ体験を前向きに楽しめることを、この研究は示しています」と南カリフォルニア大学のクリスティン・ディール研究員は語る。決して大げさな話ではなく、写真が幸せな生活のカギを握っているということになるのだ。
またこれは観光旅行的なアクティビティだけでなく、通勤や買い物といった平凡な日常の中の行為も写真を撮ることで楽しい体験になることが示唆されている。とすれば、カメラ(スマホのカメラ機能)はまさに幸せの“発生装置”ということになるのかもしれない。SNSに投稿するしないに関わらず、目にした気になる物事は億劫がらずにカメラに収める習慣をつけてもよさそうだ。
参考:「Eater」、「The Cut」、「Your Tango」ほか
文=仲田しんじ
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