なぜ電車で席を譲らないのか?

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 少し前の話しだが、イギリスの二児の母親のツイッターが“炎上”した。騒動の原因となったツイートは、満員電車で立ったまま母乳を授乳中に誰も席を譲ってくれなかったというものだ。

■なぜ電車で席を譲らないのか?

 利用客のほとんどが通勤通学という路線の電車内では、今や乗客の7、8割がスマホに目を落としているといっても過言ではない。実に多くの人々が周囲の状況をすぐには把握できなくなっている。妊婦や幼い子どもを抱えた母親、老人や障害者の存在にますます気づきにくくなっているのだ。

 英・オックスフォード大学の心理学者であるオリバー・スコット・カリー博士によれば、乗客の多くは人を怒らせたり面倒なことに巻き込まれたくないがために、ハンディキャップがある人の存在に気づいても知らないふりをし続けていると説明している。

 もちろんはじめから人に席を譲る気持ちがまったくない自己中心的な人もいれば、単純に不注意な人もいるのだが、多くの乗客は“見て見ぬ”ふりをしているという。みんなで“見て見ぬ”ふりをしていれば、特定の乗客に責任が負わされるリスクも少なくなる。

 電車の乗客がどれほど不親切なのかを検証すべく、一人の女性がお腹に詰め物をして妊婦に変装した状態でロンドンの地下鉄に乗る実験を行なっている。

 シートに座る乗客の目の前に立った彼女だったが、10人のうち4人しか自発的に席を譲ってくれなかったという。そして彼女が直接「席を譲ってほしい」と伝えると5人が席を譲った。残る1人は何があっても席を譲らなかったのだ。

 この結果には彼女本人もショックを受けた。車内の中で自分が迷惑者扱いされていると感じたという。そして目の前の乗客に直接「席を譲ってほしい」と頼むことにひじょうに気まずい思いをしたということだ。「人々は自分の周囲で起っていることとの関係を断ち切っているのです」と訴えている。

 前出のカリー博士もまた、自発的に席を譲ることは気まずい思いをする以上に尊いことであり、乗客はスマホを眺めていたとしても周囲には気を配っていなければならないと忠告している。

 スマホに加えて昨今はイヤホンの装着率もそれなりに高く、話しかけても気づかれないケースもありそうだ。慌しい通勤通学であっても周囲への気遣いは忘れないようにしたい。

■退屈している人はケチになる?

 なかなか世知辛い話題だが、電車の中で退屈している人はますます席を譲りにくくなっているのかもしれない。これに関してアメリカのジョン・テンプルトン財団はVR機器を使ったユニークな実験を行なっている。

 徐々に普及しているVRヘッドセットだが、研究チームは2つのグループにそれぞれ別のVR体験をしてもらった。Aグループは美しい海の中や宇宙空間をリアルに探検できるVR空間を満喫してもらい、一方でBグループには何もない殺風景のグレーのVR空間をただ歩き回ってもらった。

 Aグループの人々は胸躍るアドベンチャーを体験してテンションが上がった一方、Bグループの人々は何もない空間を歩かされて辟易としていた。

 その後、参加者全員は円グラフを作成するように求められた。グラフが示すものは、今の自分の時間と労力を家族、仕事、人助け、自分自身、旅行の5つについて、それぞれどのくらい割り振っているのかである。

 この5つの要素のうち、研究チームが着目しているのは「家族」と「人助け」である。この2つは利他的で気前の良さ(Generosity)を示すものだ。残りの3つはつまるところは利己的な要素である。

 この「家族」と「人助け」の合計が円グラフに占める割合が、Aグループは52%だったのに対し、Bグループは41%と大きく落ち込んでいた。ワンダフルなVR体験をした者は気持ちが寛大になり気前が良くなっている一方、退屈なVR体験をした人々は自己中心的で気前が悪くなっていたのだ。

 素晴らしい体験は単純には値段がつけられないものだ。自分にとっての価値ある体験は、いわば不定期のボーナスを貰ったようなもので、他者に何か施したい気分になっても不思議ではない。一方、自分にとって価値のない体験はまさに時間=お金をドブに捨てたようなものであり、そこから立ち直るにはまず自分のことが最優先されてくるためにケチになってしまうようだ。

■アルコール摂取で攻撃性がむき出しに 

 体験によって人の気持ちがかなり変わることが指摘されているのだが、人間の気分を変える“厄介者”のひとつがアルコールだろう。泣き出したり笑い出したりと、人によって酔うといろんなリアクションを見せるが、酒を飲むと攻撃性が高まりケンカをしやすくなるのは広く知られているところだ。

 アルコールと行動の変化についての研究はこれまでにも多く行なわれてきたが、一時的なアルコール摂取による脳活動を詳しく分析した研究はないという。そこでオーストラリア・ニューサウスウェールズ大学の研究チームは実験参加者の脳をfMRIでモニターする実験を行なっている。

 50人の健康な成人男性が2グループに分けられ、Aグループはウォッカを飲み、Bグループはウォッカだと伝えられて出されたノンアルコール飲料(プラセボ)を飲んだ。

 その後、テイラー攻撃パラダイム(Taylor Aggression Paradigm)と呼ばれる相手よりいかに早くボタンを押すかという課題に、fMRIで脳活動を測定した状態で挑んでもらった。

 モニターの結果、アルコールを摂取した者は一時的に前頭前皮質(prefrontal cortex)の活動が弱まっていることが判明した。前頭前皮質は人の攻撃性を抑制する“理性”を担っており、酒を飲むことでこの“理性”が緩むと攻撃性が発揮されやすくなるのである。

 加えてアルコール摂取者は背側正中(dorsomedial)と背外側前頭前野(dorsolateral prefrontal cortices)の活動も低下していた。この部分は記憶と感情の抑制を司っているといわれている。

 対戦相手は実際のところはAIなのだが、アルコール摂取による前頭前皮質の活動低下によって、酔ったプレイヤーは対戦相手の敵意を過剰に感じ取り、社会的なエチケットをあまり気にしなくなり、その結果より攻撃的な行動に出やすくなるということだ。脳のこれらの領域の活動低下はおそらく自己認識の低下にも繋がっているという。つまり身の程を忘れてしまうのである。これから年末にかけてお酒を嗜む機会も増えてくるだろうが、くれぐれも“酒の失敗”には気をつけたい。

参考:「BBC」、「Springer」ほか

文=仲田しんじ

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