できる人、立派な人、いい人の危険なリスク!

サイコロジー

 社会的にも成功している傑出した人物がスキャンダルなどで失墜するのを見てどう感じるだろうか。そうした話題には興味はないという向きも多いとは思うが、場合によっては心のどこかで鬱憤が晴れる思いを感じたとしても、ある意味では仕方のないことであることが最近の研究で報告されている。

■“できる人”は懲らしめられる?

 善を勧め悪を懲らしむ“勧善懲悪”は社会的モラルの基本中の基本であると思われるが、興味深いことに我々は悪人だけでなく“できる人”も懲らしめているというから興味深い。

 カナダ・ゲルフ大学の研究チームが2018年4月に心理学系学術ジャーナル「Psychological Science」で発表した研究では、実験を通じて競争が激しい組織では人々が傑出した人物を懲らしめる傾向があることを指摘している。

 研究チームは実験参加者たちに公共財ゲーム(public-goods game)と信頼ゲーム(trust game)をプレイしてもらい、選抜競争が激しい状況下で反社会的罰(anti-social punishment)がライバルの協力行為を阻害する手段に使われるのかどうかを探っている。

 結果はある意味で残念なものになった。各々が選ばれる存在で競争が激しいというゲームの条件下にあっては、ライバルの足を引っ張る行為が多く見られたのである。しかし誤解がないようにしたいのは、激しい競争がない条件下では、人々はより協力的になっている。

 人を助けてくれる善良な人には基本的には感謝と好意しかないのだが、その善良な人物のせいで自分が惨めな存在に感じられ自分の価値が下がったと認識した場合などには、その善良な人物の足を引っ張ったり妨害したりすることも決して珍しいことではないということになる。

 ある種の人々は、職場、会議室、関係先などで自分が格下に見られていると感じた場合、評価の高いライバルの鼻っ柱を折ることを好むと研究チームは説明している。なかなか穏やかではない話だが、社内の出世競争や組織の権力争いなどでは実力や実績よりもこうした“ゲーム”が行なわれることもあるだろう。

 善良で協力的で能力にも優れた“できる人”が何故か嫌われるというケースは狩猟採集時代の人類にも見られたということだ。平等主義が徹底していたと考えられる石器時代の人々の間では、狩りの能力が突出して高い者はグループ内で嫌われていたという。なぜならそのままにしておけばグループ内で権力を握る可能性が高いからだ。

 傑出した成功者がスキャンダルで失墜するのを見て内心で痛快な気分になるのも無理はないという話にもなりそうだ。そして“できる人”の側はこうしたリスクと常に隣り合わせであることを確認しておきたい。

■尊敬できる“立派な人”は敬遠される

“できる人”は意外にも嫌われていることがわかったのだが、“立派な人”も実はかなり敬遠されていることが最新の研究で報告されている。

 イギリス、オックスフォード大学と米・イェール大学の合同研究チームが2018年8月に社会心理学系学術ジャーナル「Journal of Experimental Social Psychology」で発表した研究では、今の社会で信条に従って行動する義務論(deontology)と、“最大多数の最大幸福”を結果として求める帰結主義(consequentialism)のどちらが支配的であるかを探っている。

 研究チームは実験参加者2086人に対して、なかなか一筋縄ではいかないモラル問題を出題して回答してもらった。問題は例えば、「ある祖父が宝くじに当選したのだが、孫の自動車を修理するのに使うか、それともマラリア撲滅のためのチャリティに寄付するのかどちらがよいか」や「実家で孤独な母親の面倒をみている娘と、貧しい人々のために住居を建てるボランティアをしている娘のどちらとデートがしたいか」などである。質問はいずれも、近しい者を優先した行動vs公共の利益に奉仕する活動といったニュアンスを帯びている。

 回答データを分析した結果、身近な人々を大切にする義務論が、公の利益に尽くす帰結主義を上回っていることが判明した。今日の社会では孫にお金をあげることや、実家で母と2人で暮らす娘のほうが好まれているのである。

 友情は“えこひいき”を必要としており、友情の鍵は友人をほかの人と同じようには扱わないということであり、必要な時に助けをくれない友人が欲しい人はいないのだと研究チームは説明する。

 世界平和のためよりも、身近な人々の幸福を願って行動している現代人の傾向が明らかになったのだが、一方で政治家や会社の上司などのリーダーに求める資質となると話はまったく逆になるというから興味深い。多くの人は政治家やリーダーなど“立派な人”には公共のために奉仕する帰結主義者であることを望んでいるのである。

 そして公のために尽力する“立派な人”に感謝し尊敬しているものの、こうした人々に親近感を感じていないこともまた明らかになった。“立派な人”が友人やパートナーであってほしくないというのである。

 その意味ではなかなか自分勝手な考え方をしているとも言え、やはりボランティアやチャリティにおいては定期的な呼びかけやキャンペーンが必要なのだろうか。

■職場で“いい人”すぎる人は危険!?

“できる人”も“立派な人”もなかなか一筋縄ではいかないようなのだが、“いい人”もまたリスクを孕んでいるという。特に職場で“いい人”過ぎる人には思わぬ面倒を招く危険性を秘めているという。“いい人”のリスクをジャーナリストのアイネ・ケイン氏が解説している。

●“いい人”は退屈な存在
“いい人”は受身で愛想が良い。好感は高まるがそのぶん退屈な人物という印象を与える。

●“いい人”は人に利用される
“いい人”は基本的にあまり「ノー」を言わない。それに気づいた周囲の人々に利用される可能性が高まる。

●“いい人”は弱い人物
 過剰に愛想が良い人物は弱い人だという印象を与える。そして悪意のある周囲の者に操られてしまうのだ。

●“いい人”は進む道を誤る
 いったん“いい人”という評判を得てしまうと、周囲に異を唱えることが難しくなる。「そんなにいい人なのにどうして?」という周囲の失望の声に、言動を撤回せざるを得なくなるケースが出てくるかもしれない。

●“いい人”は疑わしい
 “いい人”には好感をうけるが、どうしてそこまで愛想がいいのか、何か裏があるのかと疑われることもある。本心からの親切心であっても、後で何か代償を求められるのではないかと勘繰られてしまうのだ。となれば友情に繋がる信頼関係を築くのが難しくなる。

●“いい人”は尊敬されない
 “いい人”は“いい人”以上の存在になれない。“いい人”がいなくてもできる仕事であれば、特に“いい人”は必要とされず尊敬もされない。

●“いい人”は自分の時間がない
 “いい人”は頼みごとをなんでも聞いてしまうので自分の時間がない。自分の成長のためにすべき自己投資ができなくなるのだ。

●“いい人”は自分が望む仕事ができない
 “いい人”は“器用貧乏”である。“いい人”は基本的に何でもできるので、望んでいるポジションに配置されない。

 人には親切に接したいものだが、必要以上に“いい人”になるのはナンセンスなのだろう。

参考:「SAGE Journals」、「ScienceDirect」、「Business Insider」ほか

文=仲田しんじ

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