「トロッコ問題」を実際に検証するとどうなるのか?

サイコロジー

 5人の命を助けるために、何の罪もない1人の命を犠牲にできるのか? 有名な「トロッコ問題」を実際に検証した実験が話題を呼んでいる。

■「トロッコ問題」を実際に検証

 何もしないで手をこまねいていればもうすぐ5人の命が奪われることになるが、意を決して手を下せば犠牲になるのは1人の命だけだ。しかしその場合、アナタは傍観者から“殺人犯”になる。アナタならどうするだろうか? ベルギー・ゲント大学の社会心理学研究チームは、マウスを使ってこのトロッコ問題を再現した実験を行なっている。

 研究チームは192人の大学生に、モラル面で難しい問題を含むシナリオ上で意思決定をする一連の課題に取り組んでもらった後、このマウスを使ったトロッコ問題に取り組んでもらう実験を行なった。

 大学生の半数はそれまでの課題と同じように、シナリオ上でマウスのトロッコ問題の判断を迫られ、もう半数の学生は実際に実験室でそれぞれケージに入れられた5匹のマウスと1匹のマウスに前にして判断を問われることになった。

 実験室では2つのケージにそれぞれ5匹のマウスと1匹のマウスが入れられており、入って来た学生には20秒の時間が与えられた。20秒のカウントダウンが終了すると、5匹のマウスがいるケージに強い電流が流れてマウスたちが苦しむことになると説明され、もし制限時間内に手元にあるボタンを押すと、電流の行き先が変わり今度は1匹のマウスがいるゲージに電気ショックが発生するのである(※実際のところは電気ショックはどちらにも流れていない。しかし学生はその設定を信じるしかない状況にある)。

 実験の結果、2つのグループの判断はかなり違ったものになっていたのだ。シナリオ上でトロッコ問題に向き合ったグループでは、実際にマウスを目の前にしたグループよりもボタンを押す判断をした者が約2倍多かったのだ。つまりシナリオ上では5匹を救うために1匹に犠牲を強いる判断がしやすいのだが、一方で実際に現場に直面してみればなかなかボタンは押せずにタイムオーバーとなってしまうケースがより多くなるのだ。

 もちろん実験室でボタンを押す参加者もいたのだが、その際にきわめて申し訳ない気持ちになり罪悪感を感じたということだ。一方でシナリオ上でボタンを押した学生たちにはある意味で当然のことをしたという気持ちであり、良心の呵責は感じていないということである。

 今回の研究で机上の意思決定は現場での意思決定を占うものにはならないことが示唆されることになった。現場での実際の判断は場合によって想定と異なってくることをこの機会に改めて確認してみたい。

■自己イメージに相応しくない偏見は潜在意識化する

 机上の意思決定と現場での判断は必ずしも一致しないことが指摘されているわけだが、意思決定の際に留意しなければならないのは自分が抱いている偏見の数々だ。自分の偏見が自覚できているならばまだしも、自分では気づいていない偏見は実に厄介である。そしてある研究者によれば、リベラルで寛容であると自認・公表している人物ほど潜在意識で偏見を抱いていることが指摘されている。

 ドイツ・ルール大学ボーフムの哲学者であるベアテ・クリックル氏が2018年5月に学術ジャーナル「Philosophical Psychology」で発表した研究では、どうして人々はしばしば自分の偏見に無自覚になるのか、偏見がどのようにして潜在意識化するのかを念入りに探っている。

 クリックル氏は仮説例として、白人男性の大学教授という人物像をとりあげ、彼は自他共に認めるリベラルで寛容な世界観を持っているケースを設定している。

 今の時代に人種差別などまったくナンセンスだと考えている教授だが、実はその言動は矛盾しているという。例えば有色人種の学生がきわめて知的な質問をした時にはとても驚くのである。なぜなら教授の直感的な印象では白人の学生がよりスマートに見えているからだ。

 クリックル氏によれば、この教授が抱いているような偏見は潜在意識化していることが問題であるという。もちろん、大学教授という知的に優れた人物であれば、自分の中にある偏見に気づけるはずなのだが、それがどうにもできないのだ。その原因は皮肉にも「リベラルで寛容的な世界観を持っている」ことを公言していることであるという。

 クリックル氏がこの教授を“精神分析”した結果、「リベラルで寛容的な世界観を持っている」ことを公言することで、自分が抱いている人種的偏見を抑圧してしまうということだ。自分の中の人種的偏見を認めることは、自分が持つ自己像に相応しくないからである。そして抑圧されたこの偏見が本人にもかわらないほど潜在意識化してしまうのだ。

「哲学の機能はまず第一に、抑圧が実際にどのようなものであるかを詳細に分析することです。意識についての哲学的理論に基づけば、抑圧が長年にわたって習慣化してきた“見て見ぬふり”であると理解された時、実現可能な解決策が浮上します」とクリックル氏は語る。

“認めたくない”偏見を潜在意識に追いやってしまえば実に厄介な問題に発展するだろう。クリックル氏によればこうした心の奥底の偏見は心理テストで暴き出すことができるということだ。自分の中に自分も気づかない秘めた偏見があるのかどうか、折に触れて考えてみてもよさそうだ。

■判決が裁判官の“胃袋”の具合に左右されている

「偏見」を最も排除しなければならない分野のひとつが裁判の現場だ。しかし裁判においては偏見と並んでもうひとつ、判決を左右する厄介な要素があるという。それはなんと“胃袋”である。

 イギリスの首席審判所長(Senior President of Tribunals)であるアーネスト・ライダー氏は、4月初旬に英・ウォーリック大学で開催された児童虐待問題を協議する第10回BASPCAN国際会議において、裁判では昼食後の判決がより寛大になる傾向があることを指摘している。

 地位の高い裁判官の口から、判決が“胃袋”に左右されているという言葉が出てくるとはにわかに信じ難いが、イスラエルの法廷で行なわれた1000件もの裁判を分析することで、判決内容と“胃袋”の強い結びつきが浮き彫りになったということだ。つまり判決が出される時間帯が判決内容に影響を及ぼしていることになる。

「昼休みまでの裁判では、司法判決によって刑務所から釈放された犯罪者の数はゼロでした。しかし、昼食後の判決では犯罪者が釈放される確率は3分の2になりました」(アーネスト・ライダー裁判官)

 したがって胃袋の満たされ具合もまた、数々の偏見と同じように意思決定を左右する要素であることをライダー裁判官は強く訴えているのである。

「裁判官にもっと食事を与えろと言っているのではありません。社会科学、行動心理学、司法の意思決定を研究する法学者などからの経験を活用するために、司法の意思決定を改善するための訓練と教材を開発することの重要性を強調したいのです」(アーネスト・ライダー裁判官)

 つまり胃袋の具合ももまた司法判断に影響を及ぼす要素であることを確実に情報共有し、対策に取り組まなければならないということである。空腹を感じている時の重要な意思決定には注意が必要と言えそうだ。

参考:「AllPsych」、「Ruhr-Universitat Bochum」、「Daily Mail」ほか

文=仲田しんじ

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